このままサラリーマン続けますか?
みなさん、こんにちは。
無痛整体師、武道家の西田です。
本日は、サラリーマンの方に向けて、記事を書きます。
どちらかと申すと、男性向けの記事です。
先日の52歳の誕生日に、自分撮りをしました(^0^)
作務衣・・・これが、今の私の仕事着です。
こう見えても、私は、かつてサラリーマンでした。
みなさんと同じ、スーツを着て、毎日、満員電車に乗ってました。
24年間、ひとつの企業に勤務していました。
ところが50歳手前で、会社を辞め、整体師になる決意をしました。
その決意を周囲に告げた時・・・
当然のことながら、家族は、猛反対しました。
上司も同僚も、多くの人は、驚きました。
考え直すように、アドバイスをくれる人もたくさんいました。
呆れる人も、バカにする人も、いました。
「あと、ちょっとの我慢じゃないか・・・」
定年になったら、思う存分、好きなことをすればよい。
そういう意味でしょう。
でも、その“ちょっと”が、私には耐えられなかった。
念のために申し上げますが、会社が悪いわけではありません。
世間的評価でいえば、名の通った一流企業です。
処遇も悪くありませんし、仕事に大きな不満もありませんでした。
上司や同僚、取引先の方にも恵まれていました。
素晴らしい方々に囲まれ、仕事をさせていただいておりました。
「贅沢だ、もったいない」
そんな声も、たくさん聞かされました。
しかし、何が贅沢なのか、もったいないのか。
私は、さっぱりわかりませんでした。
では、私は、何に耐えられなかったのか。
それは、
不誠実な生き方をしていること
それに、耐えられなかったのです。
会社の仕事には、自信も誇りも持っていました。
しかし、自分が本当にやりたい仕事か。
命懸けで取り組んでいるか。
そう聞かれると、ハイとは答えられませんでした。
会社に勤務している以上、その枠内で仕事をせねばなりません。
時に、自分にとって不本意なことも、せねばなりません。
仕事の社会的意義を問うても、答えが出ないこともあります。
きれいごとでは、仕事はできない。
余計なことは考えないで、黙ってやれ。
そう言われるのが、オチです。
かくして、不完全燃焼状態で、仕事を続けることになります。
責任があるので、手は抜きません。
しかし、心のどこかでわだかまりがあった。
これは、自分が本当にやりたい仕事だ。
100%、納得して仕事をしている。
命懸けで、全身全霊を傾けて、仕事に取り組んでいる。
そう言えたなら、私はまだ会社勤務を続けていたでしょう。
しかし、正直に申し上げて、私はそうではなかった。
そういう状態で、仕事をし続けていること。
それは、会社に対して、上司や同僚に対して、そして取引先に対して、たいへん不誠実だと私は感じます。
社会に対しても、不誠実です。
自分のベストを尽くしていないからです。
そして、何よりも、自分の命に対して不誠実です。
「西田 聡」という人間の人生は、一度きりです。
その人生が、このまま費えてよいのか。
天からお与えいただいたこの命、精一杯輝かしているのか。
ずっと、それを問い続けていました。
しかし、いくら考えても、サラリーマンをやっている以上、NOです。
自分を騙し、誤魔化し続けるしかない。
そんな時に、今の仕事を知りました。
今は亡き師匠に出逢い、新しい生き方を示されました。
一緒にやろう、日本を変えよう、そう言われました。
やっと、自分の道を見つけた・・・
感動と、安堵感。
師匠の手を握り、号泣したことは、今も忘れません。
整体師として、自営をすること。
未知の業界、未経験の仕事で、50歳手前で起業をすること。
困難と苦労の連続でした。
その厳しさ、辛さは、予想を遥かに超えていました。
もうだめだ、死ぬしかない。
そう思ったことも、何度もあります。
でも、死ななかった。
なぜなら、整体師として生きることが、私の使命だからです。
整体の道を究め、人と世に貢献するために、この命があるからです。
だから、必ず道は開ける。
そういう思いで、今日までやって参りました。
今は、毎日が幸せです。
相変わらず、困難や苦労の連続です。
でも、最高に幸せです。
なぜなら、100%、心から納得して仕事をしているからです。
世界一の仕事であると、確信しているからです。
自分に対しても、人に対しても、社会に対しても、嘘がないからです。
だから、苦労や困難は、乗り越えるべき課題に過ぎない。
そう思えます。
サラリーマンが悪いとは、申しません。
私の父はずっとサラリーマンで、家族を養い、私たちを育ててくれました。
心から感謝していますし、尊敬もしています。
無痛整体師、武道家の西田です。
本日は、サラリーマンの方に向けて、記事を書きます。
どちらかと申すと、男性向けの記事です。

先日の52歳の誕生日に、自分撮りをしました(^0^)
作務衣・・・これが、今の私の仕事着です。
こう見えても、私は、かつてサラリーマンでした。
みなさんと同じ、スーツを着て、毎日、満員電車に乗ってました。
24年間、ひとつの企業に勤務していました。
ところが50歳手前で、会社を辞め、整体師になる決意をしました。
その決意を周囲に告げた時・・・
当然のことながら、家族は、猛反対しました。
上司も同僚も、多くの人は、驚きました。
考え直すように、アドバイスをくれる人もたくさんいました。
呆れる人も、バカにする人も、いました。
「あと、ちょっとの我慢じゃないか・・・」
定年になったら、思う存分、好きなことをすればよい。
そういう意味でしょう。
でも、その“ちょっと”が、私には耐えられなかった。
念のために申し上げますが、会社が悪いわけではありません。
世間的評価でいえば、名の通った一流企業です。
処遇も悪くありませんし、仕事に大きな不満もありませんでした。
上司や同僚、取引先の方にも恵まれていました。
素晴らしい方々に囲まれ、仕事をさせていただいておりました。
「贅沢だ、もったいない」
そんな声も、たくさん聞かされました。
しかし、何が贅沢なのか、もったいないのか。
私は、さっぱりわかりませんでした。
では、私は、何に耐えられなかったのか。
それは、
不誠実な生き方をしていること
それに、耐えられなかったのです。
会社の仕事には、自信も誇りも持っていました。
しかし、自分が本当にやりたい仕事か。
命懸けで取り組んでいるか。
そう聞かれると、ハイとは答えられませんでした。
会社に勤務している以上、その枠内で仕事をせねばなりません。
時に、自分にとって不本意なことも、せねばなりません。
仕事の社会的意義を問うても、答えが出ないこともあります。
きれいごとでは、仕事はできない。
余計なことは考えないで、黙ってやれ。
そう言われるのが、オチです。
かくして、不完全燃焼状態で、仕事を続けることになります。
責任があるので、手は抜きません。
しかし、心のどこかでわだかまりがあった。
これは、自分が本当にやりたい仕事だ。
100%、納得して仕事をしている。
命懸けで、全身全霊を傾けて、仕事に取り組んでいる。
そう言えたなら、私はまだ会社勤務を続けていたでしょう。
しかし、正直に申し上げて、私はそうではなかった。
そういう状態で、仕事をし続けていること。
それは、会社に対して、上司や同僚に対して、そして取引先に対して、たいへん不誠実だと私は感じます。
社会に対しても、不誠実です。
自分のベストを尽くしていないからです。
そして、何よりも、自分の命に対して不誠実です。
「西田 聡」という人間の人生は、一度きりです。
その人生が、このまま費えてよいのか。
天からお与えいただいたこの命、精一杯輝かしているのか。
ずっと、それを問い続けていました。
しかし、いくら考えても、サラリーマンをやっている以上、NOです。
自分を騙し、誤魔化し続けるしかない。
そんな時に、今の仕事を知りました。
今は亡き師匠に出逢い、新しい生き方を示されました。
一緒にやろう、日本を変えよう、そう言われました。
やっと、自分の道を見つけた・・・
感動と、安堵感。
師匠の手を握り、号泣したことは、今も忘れません。
整体師として、自営をすること。
未知の業界、未経験の仕事で、50歳手前で起業をすること。
困難と苦労の連続でした。
その厳しさ、辛さは、予想を遥かに超えていました。
もうだめだ、死ぬしかない。
そう思ったことも、何度もあります。
でも、死ななかった。
なぜなら、整体師として生きることが、私の使命だからです。
整体の道を究め、人と世に貢献するために、この命があるからです。
だから、必ず道は開ける。
そういう思いで、今日までやって参りました。
今は、毎日が幸せです。
相変わらず、困難や苦労の連続です。
でも、最高に幸せです。
なぜなら、100%、心から納得して仕事をしているからです。
世界一の仕事であると、確信しているからです。
自分に対しても、人に対しても、社会に対しても、嘘がないからです。
だから、苦労や困難は、乗り越えるべき課題に過ぎない。
そう思えます。
サラリーマンが悪いとは、申しません。
私の父はずっとサラリーマンで、家族を養い、私たちを育ててくれました。
心から感謝していますし、尊敬もしています。
しかし、父が現役の頃とは、時代が変わってきています。
今や、安定を望める社会ではありません。
日本という国自体に、たいへん大きな危機が迫っています。
私たちの生活や社会に、かつてなかったほど、大きな変化がおきているし、さらに大きな変化が起きようとしています。
それに対応できないと、未来はないのです。
大きな企業が倒産するのは、もはや日常茶飯事です。
業界そのものが消滅することさえ、あるのです。
国家でさえ、絶対ではありません。
そのような中、何を拠り所とするか。
一人ひとりが、いま何をすべきか考え、行動する。
組織に頼るのではなく、各人で考え、答えを見つけ、勝ち取っていく。
それが必要な時代になってきていると、私は思います。
なぜなら、女と子供を守り、彼らが安心して暮らせる社会を創造することこそが、男の役割りだからです。
今こそ、その役割が求められる時代はないと、私は思います。
ここに、一冊の本があります。
タイトルは、「現実を視よ」。
ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井 正さんの著書です。
この本に、「サラリーマン社会のなれの果て」という一節がありました。
たいへん共感できる内容でしたので、引用をいたします。
日本から「資本主義の精神」がなくなった象徴が、「人材がサラリーマン化してしまった」ということだろう。
いま高校や大学を卒業したら、ほとんどの人は民間企業に就職する。それ自体は悪いことではない。そこで仕事に必要なスキルを学び、身につける。そうやって実力を蓄えながら、世の中にどのような価値を提供できるかを考え抜いて、それが見つかったときには、自分で起業する。
資本主義に適応するというのは、そういうことだろう。
ところがいつからか、会社に入ったらそこで最後まで働き続けて、上司から指示された仕事をこなすだけの生き方が日本では主流になった。労働者は、月末に会社から自動的に給料が振り込まれる「サラリーマン」ばかりになってしまった。
サラリーマンという労働形態を、資本主義の進化形という人もいるが、とんでもない。資本主義の原理とは競争である。競争に勝つだけの力がなければ、報酬も手に入らない。だから勝てるようになるために自分を磨き、爪を研ぐ。
しかしサラリーマン根性が染みつくと、世の中に価値を提供し、自分でお金を稼ぐ実感が、なかなかもてない。会社に時間を提供した見返り、それが給料なのである。
彼らにとっては毎月きちんと給料が出て、自分の生活を成り立たせるほうが、世の中を変えることよりもはるかに大切。だから新しい挑戦をせず、ひたすら組織のなかで自己保身に走る。
しかも、いったん既得権益を手にしたら最後、それを絶対に手離さない。かくしてエネルギーのベクトルは、社会を変えるのではなく、居心地のいい現在の状態をできるだけ温存する方向に傾いていく。
その結果、社会全体が硬直化し、外部の変化についていけずに表退する。いまの日本は、資本主義の精神を忘れたサラリーマン社会のなれの果てと言えないだろうか。
サラリーマンのみなさん、いかがでしょうか。
自分には関係ない、自分が頑張っても仕方がない。
そうお考えでしょうか。
整体師を名乗っていても、勤務しているならサラリーマンです。
そんな方も多いと思います。
それが悪いとは、私は申しておりません。
しかし、
「このまま胸を張ってサラリーマンを続けますか?」
自分の仕事と生き方に、絶対の自信と誇りを持っていますか?
未来に、希望をもって生きていますか?
会社が倒産しても、自分の身ひとつで食べていけますか?
女と子供に、夢を語れますか?
いっさいの言い訳や、不平不満を口にしていませんか?
すべてに堂々と、イエスと言えるなら、言うことはありません。
そのまま、サラリーマンをお続けになればよいと思います。
来るべき日を見据えて、ご準備なさっているのかも知れません。
でも、わずかでもそうでないなら・・・
迷っている場合では、ありません。
これからのことを、真剣にお考えになった方がよいと私は思います。
そして、即座に行動すべきです。
もう残された時間は、あまりないと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今や、安定を望める社会ではありません。
日本という国自体に、たいへん大きな危機が迫っています。
私たちの生活や社会に、かつてなかったほど、大きな変化がおきているし、さらに大きな変化が起きようとしています。
それに対応できないと、未来はないのです。
大きな企業が倒産するのは、もはや日常茶飯事です。
業界そのものが消滅することさえ、あるのです。
国家でさえ、絶対ではありません。
そのような中、何を拠り所とするか。
一人ひとりが、いま何をすべきか考え、行動する。
組織に頼るのではなく、各人で考え、答えを見つけ、勝ち取っていく。
それが必要な時代になってきていると、私は思います。
なぜなら、女と子供を守り、彼らが安心して暮らせる社会を創造することこそが、男の役割りだからです。
今こそ、その役割が求められる時代はないと、私は思います。
ここに、一冊の本があります。
タイトルは、「現実を視よ」。
ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井 正さんの著書です。

この本に、「サラリーマン社会のなれの果て」という一節がありました。
たいへん共感できる内容でしたので、引用をいたします。
日本から「資本主義の精神」がなくなった象徴が、「人材がサラリーマン化してしまった」ということだろう。
いま高校や大学を卒業したら、ほとんどの人は民間企業に就職する。それ自体は悪いことではない。そこで仕事に必要なスキルを学び、身につける。そうやって実力を蓄えながら、世の中にどのような価値を提供できるかを考え抜いて、それが見つかったときには、自分で起業する。
資本主義に適応するというのは、そういうことだろう。
ところがいつからか、会社に入ったらそこで最後まで働き続けて、上司から指示された仕事をこなすだけの生き方が日本では主流になった。労働者は、月末に会社から自動的に給料が振り込まれる「サラリーマン」ばかりになってしまった。
サラリーマンという労働形態を、資本主義の進化形という人もいるが、とんでもない。資本主義の原理とは競争である。競争に勝つだけの力がなければ、報酬も手に入らない。だから勝てるようになるために自分を磨き、爪を研ぐ。
しかしサラリーマン根性が染みつくと、世の中に価値を提供し、自分でお金を稼ぐ実感が、なかなかもてない。会社に時間を提供した見返り、それが給料なのである。
彼らにとっては毎月きちんと給料が出て、自分の生活を成り立たせるほうが、世の中を変えることよりもはるかに大切。だから新しい挑戦をせず、ひたすら組織のなかで自己保身に走る。
しかも、いったん既得権益を手にしたら最後、それを絶対に手離さない。かくしてエネルギーのベクトルは、社会を変えるのではなく、居心地のいい現在の状態をできるだけ温存する方向に傾いていく。
その結果、社会全体が硬直化し、外部の変化についていけずに表退する。いまの日本は、資本主義の精神を忘れたサラリーマン社会のなれの果てと言えないだろうか。
自分には関係ない、自分が頑張っても仕方がない。
そうお考えでしょうか。
整体師を名乗っていても、勤務しているならサラリーマンです。
そんな方も多いと思います。
それが悪いとは、私は申しておりません。
しかし、
「このまま胸を張ってサラリーマンを続けますか?」
自分の仕事と生き方に、絶対の自信と誇りを持っていますか?
未来に、希望をもって生きていますか?
会社が倒産しても、自分の身ひとつで食べていけますか?
女と子供に、夢を語れますか?
いっさいの言い訳や、不平不満を口にしていませんか?
すべてに堂々と、イエスと言えるなら、言うことはありません。
そのまま、サラリーマンをお続けになればよいと思います。
来るべき日を見据えて、ご準備なさっているのかも知れません。
でも、わずかでもそうでないなら・・・
迷っている場合では、ありません。
これからのことを、真剣にお考えになった方がよいと私は思います。
そして、即座に行動すべきです。
もう残された時間は、あまりないと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。