一緒に生きる、わずかな時間 | 「整体師」という生き方 ~ 一灯照隅、万灯照国 ~

一緒に生きる、わずかな時間

みなさん、こんにちは。
無痛整体師、武道家の西田です。

8年前の、2004年7月31日。
私は、以下のようなブログ記事を書いています。

タイトルは、「一緒に生きる、わずかな時間」 です。
(※リンク先は、エキサイトブログになります)


「一緒に生きる、わずかな時間」

宇宙の歴史、160億年。
地球の歴史、46億年。
人類の歴史、50万年。

この長い長い歴史の中のほんのわずかな時間を、今この地球に生きている60億の人たちと共有している。
考えてみると、こうやって同じ時代を生きられる確率は、非常に低い。
縁あって出会える確率はさらに低い。

なのに、やっと巡り合えた人どうしなのに、なぜ人は争うのだろう?

国や企業なんて、ほんの最近になって、人間が勝手に作ったもの。
そんなもののために、やっと巡り合えた人たちを敵対視していいのだろうか。

同じ時代に生まれてきたことを喜び合い、お互いの存在を愛しく思い、大切にしたい。
一緒に生きていられるわずかな時間を、お互いが楽しく、精一杯生きていけるよう、お互いがお互いを助け合いたい。
何か問題があれば、一緒に考え、協力して解決したい。
そう思うのが、自然ではないだろうか。

戦争、テロ、殺人・・・
毎日毎日、人が人を傷つける事件が多発する。
時代を先導すべき大人たちが、“国家間競争”や“企業間戦争”に没頭しているわけだから、それはある意味当然の結果ではないかと思う。
僕たちは当たり前のように、「今回の戦略は・・・」とか、「敵の○○社の動向について・・・」とか口にしている。
それが、結果的に悲しい事件を招いている。
僕はそんな気がしてならない。

僕たちは、日常に埋没してしまい、近視眼的にしかものが見れなくなっている。
自分たちが勝手に作った国や組織やルールに縛られ、本当に大切なことを見失っている。

争うのは、もうやめよう。
せっかく、一緒にこのわずかな時間を生きているのだから。

当時、私はサラリーマンでした。
企業勤務をしながら、「このままではいけない」と感じていました。
自分は、戦争と環境破壊に加担しているも、同然。
大げさかも知れませんが、そんな気がしていました。

でも、自分には、何もできない。
何をしたらいいのかも、わからない。

長年、悩み、苦しんだのち、私は会社を辞めました。
誠に身勝手で、無謀な行動です。
でも、私は、これ以上、自分をごまかすことができませんでした。

今も、当時とまったく同じ気持ちです。
私たちが、見るべきは、戦争や原発ではない。
ましてや、自社の利益では断じてない。

世界の調和と平和。

真っ先に、それに目を向けるべきだと思うのです。
それを、すべての起点とすべきです。

自分が今やっていること、取り組んでいること。
それは、世界の調和と平和につながっているのか。
一点の曇りもなく、そう言えるか。
自分に嘘をついていないか。

先に、お天道様に恥ずかしくない生き方をする という投稿をしました。
お天道様とは太陽であり、神さまのことでもあります。
それは、天にいらっしゃるだけでなく、自分の中にもいらっしゃいます。
常に自分とともにあり、自分を見ている存在です。
それに対して、嘘をついてはならないということです。
いや、嘘はつけないのです。

このままでは、おそらく世界は破滅に向かいます。
未曾有の大天災、残忍な事件、難病の増加、経済破綻、政情不安定・・・
その兆候が、あちこちに露呈しているのです。

論争したり、ことの是非を問うてる場合ではない。
今までとはまったく異なる視点、取り組みが必要だと思います。

世界の調和と平和を、すべての起点とすること。
思いやりとやさしさをもって、相手を受け入れ、理解すること。
その上で、お互いを生かし合い、協力し合うこと。
きれいごとではなく、それを日常生活の中で実践すること。
たとえ自分一人でも、やること。

一灯照隅、万灯照国。

小さくとも、自らが、一灯となること。
誰かではなく、自分がやること。
いますぐ、やること。

いま、一人、一人に、それが求めらている。
私は、そう感じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「整体師」という生き方 ~あなたがあなたであるために、心と身体にやさしさ、ぬくもり、安らぎを~

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