第2日k目
7月2日(木)
ベラルーシの首都ミンスクの市内観光と次の都市ブレストに移動です。
朝食はホテルオルビータのレストラン。特別なものはない。
ミンスク市内観光に8時半出発、風は爽やか日差しは強い。
ホテルが町の中心地なのですぐに下車観光となる。
最初は独立広場、独立広場通りというミンスクのメインストリートに面した大きな広場。明日7月3日が記念日なので赤と緑の国旗をモチーフにした布が飾り付けられている。
独立記念日はソビエット連邦からの独立ではなく世界大戦のときドイツ軍にポーランド、そしてベラルーシも破壊されナチスはロシアに攻め込みここは戦場となったところ。7月3日がドイツから解放された記念日なのです。
この広場には政府の建物のほか通りの反対側は5万人の学生が学ぶ国立大学がある。中国人も5000人も留学しているそうです。レーニンの銅像もあるがソ連時代の遺物です。
ベラルーシの国土は平たんで山がない、森林が多く45%を占める。他は酪農、農業は麦とジャガイモが多い。工業もありトラクターの生産は世界で8番目、時計の部品などもロシア向けに生産されている。宗教はロシア正教の信徒が多いがローマカトリック教徒も次に多い。この独立広場にもローマカトリック教会の赤い屋根が見られる。
バスで5分10分の移動で次の観光スポットに向かう。涙の島という戦没者の慰霊の人口の島がある。ベラルーシは徴兵制度あり、1年半義務である。旧ソ連時代ソ連兵としてこの若者がアフガニスタンのソ連侵攻作戦に従事し771名が若い命を落とした。その鎮魂の涙の形をした島です。
この近くには最近できた高級マンションもあります。
ミンスクは戦争で壊滅的な破壊があり戦後、ソ連の援助で復興した。建物の高さは24m、道路幅は48mと1対2の比率で計画的に作られた。社会主義の国だからですね。
東京もここミンスクも70年の歴史です。
破壊を逃れた旧市街が保存されている一角がある。トラエツカヤ旧市街である。周辺のコンクリートの四角い建物群とは異なる昔のイメージが残る。
ミンスクで有名な建物は聖霊大聖堂です。ロシア正教です。ミサが行われていました、内部は写真撮影禁止です。祭壇の左側にあるマリア像のイコンが奇跡のマリアと言われ、信者の列が絶えることなくひざまずき接吻をし祈りをささげていました。
この教会の近くにはミンスクの市議会場などもあり、16世紀の市長銅像もありますし、カトリック教会もありました。
市内観光の最後は勝利の広場の38mのオベリクスです。ローターリーの中にあるので地下道を通って広場に出ます。衛兵が立っています。ちょうど衛兵の交代式が行われていました。
衛兵と並んで記念撮影もできました。
これでミンスクの観光を終えポーランド国境近くの南の都市ブレストに向かいます。
途中で2つの世界遺産に登録された城に立ち寄りました。
ミンスクから車で1時間半ほど移動したところにあるミール城がその一つ。
15世紀からの建築が始まり代々の領主が建増したので建築様式が多様である。
おとぎの国に来たような綺麗な外観、中庭は石畳で四角で広い。内部の部屋も観光できます。当時の家具調度品などもそろっていて、専属の案内ガイドが付き、有料です。写真はノーフラッシュで可能です。
イリニエ候の建物として1520年に造られたものがその後ポーランドラトビア公国の手に渡って行ったいきさつがある。
ミール城のすぐ前のレストランで遅い食事です。ボルシチ、チキングリル、アップルパイでした。
自己紹介もこの機会に行われた。
食後さらに2時間ほど移動してラジヴィウ家の居城ネスヴィン城を観光。この城は周囲に池があり城は池で囲まれている。長い並木道が池の中を城までの通路として伸びている。歩いて10分ほど先に城がある。
綺麗な城です。
中庭も広くてきれいでした。
内部の観光もできます、権力の強さがわかる装飾と調度品です。ポーランドラトビア公国の中で勢力の強かった領主の居城です。
観光は5時半に終了し、ここからまだ3時間車で移動して今晩の宿ブレストのインツーリストホテルまで大移動です。
ホテル到着は午後8時半です。
すぐ夕食、名物のマチャンカという料理。豚肉のサワークリーム煮とパンケーキ添えでした。
グラスワインは30,000(約300円)ルーブルでした。
部屋は5階でしたが、レベルが低いホテルです。WiFiは有料です。
午後10時に部屋から外を見てもこの明るさで教会が見えています。
長い1日でした。おやすみなさい。