第1回イサミ杯に出場3 | 膝と柔術と私

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ブラジリアン柔術とボディビルをこよなく愛す、半月板損傷をしたオヤジのブログです。
同じ趣味を持ち、同じケガで悩んでいる人がいれば参考になるかなと思ってます。

前回の続き


第1回イサミ杯に出場した

2002年2月の話



なんとか逆転で一回戦突破

が、疲れきって息が上がって前腕がパンパンで動かない叫び


どうしたもんか?


次の試合の勝者と2回戦に当たる。

が、マットにずーと倒れこんでその試合を見る余裕なんてない。


少し体力が回復したかな?と思っていたら試合のコール。


2回戦の相手は70kgくらいの選手。

確かケーズファクトリー所属だった気がする。


体力は回復していないが試合のコールなのでマットに上がる。

2回戦の作戦ももちろん下にならないこと。

ただ、私の1回戦の試合を相手が見ていたらおそらくタックルを警戒してくるだろうから簡単にはテイクダウンは取れないだろう。

そうなれば相手が引きこんでくるか?


試合開始。

相手は手足が長くかなりのテクニシャンのようだ。

予想通り、相手はタックルを警戒している。

私は何もできず簡単に引きこまれる。

ここからは普段の練習通りに一本ずつまたいでパスを狙いに行ったが簡単に三角締めの態勢にあせる

なんとか胸を張ってポイントをずらしながらエスケープを試みるが、まともにエスケープの練習をしたことがないので力でこらえることに。

腕十字が怖いので腕をしっかり抱え、何とかこらえること1分。

腕十字ではなく手首固め(モンジバカ)を極められ、全く絶えることが出来ずタップアウトガーン

全く良いところがなく試合終了。

現在では白帯ではモンジバカは禁止されているが当時は禁止されなかったのか?

いずれにしろ大分実力差はあったので何も文句は言えない。

セコンドに帰ると北岡さんに

「脇が甘いから三角に入られちゃうのでもっと脇を絞めましょう」

とアドバイスされる。


私に勝った相手はそのまま決勝に。

反対から上がって来た選手は現在でもMMAで活躍している長岡弘樹選手。

2ケ月前のパンクラスで北岡さんと引き分けている強豪。

そんなレベルの選手が白帯とは反則ではないか。


決勝では相手選手を難なく一本に仕留め優勝。

まあ当たり前の結果。


と言うことで私の柔術初試合は2回戦敗退。

一回勝てたから良かった。




次回は小斎選手が出場した紫帯のことを書いて行きます。




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