おはようございます。

先天性心疾患を持っている慎です。

 

 

 

ここから1年間だけの私の青春時代が始まります。

 

 

 

知り合いが誰もいない場所で、新たなスタートラインに立ちたくて、ちょっと遠い私立の高校に入学しました。

 

 

 

行きは送迎バスの来るバス停まで歩いて学校まで行きました。

所謂マンモス校と言われるとこだったので、大きい校舎が2つ並んでおり、校門から離れた方の校舎の3階に教室がありました。

エレベーターがあったので、事前に使わせてもらえるようお願いしました。

 

 

 

初めてクラスメイトと顔を会わせる日、そこに知ってる顔はいませんでした。

やっと新たな自分としてやっていけると思いました。

気さくに話しかけてくれる人が多かったので、通い始めてすぐに仲良くなって、友達ができました。

 

 

 

中学3年生から始まった在宅酸素は、通学は専用のキャリーケースに入れた小さめの酸素ボンベを使い、ボンベのみでは帰りまで持たないため、校内では持ち運びのできる小型の酸素濃縮器を置かせてもらい使うことになりました。

空気の音がちょっとうるさかったのですが、クラスの人達は全く気にせず体調の事を気遣ってくれました。

 

 

 

一番遠かった移動教室の音楽室は、別校舎まで行き、入口の反対側にあるエレベーターまで行かなければならなかったため、ちょっと大変でした。

体育は、変わらずただ見学するだけだったのですが、隙をみて友達が話しかけにきてくれたりしたので、小学生や中学生の時にあった引け目のようなものはあまり感じませんでした。

 

 

 

放課後は、友達と食堂で喋ったり、ゲームをしたり、学校近くのコンビニまで行って買い物したり、帰りは一緒に電車に乗って駅まで行き、ホームを歩くという私が思い描いていた高校生活になっていました。

皆が当たり前のようにしていることが私にもできるという事がとても嬉しかったです。

このままクラスのみんなと3年間楽しい高校生活を送れるのだと思っていました。

 

 

 

しかし、次第に体調不良で保健室に行く回数が増え、心不全や不整脈による入院で体力が落ちていき、1年生の終わり頃には、別校舎への移動教室、家からバス停までの道、校門から校舎までの道、駅のホームからバス停までの道を歩くことが難しくなっていました。

担任の先生がとてもいい先生で、通学し続けられるように色々考えてくれていたのですが、やはり私の体力が続かず、2年生からは通信制に転籍することになりました。

毎日が充実していたため、過ぎるのもあっという間でした。

私はこの1年で大事なモノを得た気がします。

 

 

 

通信制では、本来一定の通学も必要なのですが、担任の先生が、私に関することをしっかり通信の先生に伝えてくださり、自宅でもできるように配慮してくれました。

この先生は私にとっての最後の担任の先生で、今でもたまに連絡をとることがあります。

度々入院することもありましたが、慣れない通信制での2年間の高校生活を終え、無事卒業することができました。

卒業の日、1年生の時の友達からおめでとうと言われたことが今でも忘れられません。