『綺麗』ではなく『美しい』写真も欲しい | 音楽家SHINオフィシャルブログ『Timeless Music』

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古典音律の普及活動/作詞、作曲、編曲、歌、ピアノ、ヴァイオリン等/小説・歌詞集もあります(小説サイト『エブリスタ』で公開中)



『綺麗』と『美しい』は別物ですひらめき電球



俺の定義では、『綺麗』は外面が整っているもので
『美しい』は、滲み出ている内面が好ましいと感じるものです



グラビアを見るとよく思うのですが、人物写真は
照明、ポーズ、表情を完璧にし、それを加工処理したものより
カメラ目線じゃないもの、人が全体の中の一部になっているもの
撮られていることを強く意識していないものの方が
その人の本質や魅力が引き出されていることが多いと感じますひらめき電球



綺麗な写真にも魅力があり、必要でもあるので、沢山あっていいと思います



グラビアを見る人の多くは、気に入った子の綺麗な写真、セクシーな写真が見たいわけで
グラビアに内面性や芸術性を、それほど求めてはいないでしょうし



それに、撮られる方だって、男性はカッコ良く
女性は綺麗に撮ってもらえると嬉しいですよね



俺もそうです



俺も音楽活動をしている身で、アーティスト写真や宣材写真などを撮影する機会があるので
その気持ちはとてもよく解ります



ただ、スペースが限られている場合は別として、ある程度の枠があるなら
全てが『綺麗』な写真ではなく、いくらか自然な写真もある方が
その人ならではの魅力が伝わるような気がします



綺麗に撮るための、照明、ポーズ、表情、加工のテクニックってありますよね



皆がそれを知ってて同じことをやっていたら、あまり違いなんて出ないですよね



同じような写真で、こっちの人の方が顔やスタイルが好みという違いだけ



しかも、加工をし過ぎると、平面的で人工的な画像になってしまいます



音楽もそうで、技術や感性の不足を補うための編集や修正を重ねると
平面的で人工的な音になり、音楽(music)の無い、ただの音(sound)の塊になります



音ならまだしも、ひどいと騒音(noise)になります



写真も、修正のし過ぎやマニュアル化をすると、積み上げてきた知性・感性・品格などの個性が
伝わりにくくなるのではないでしょうか?



画像が粗く修正出来ないチェキの方が良く感じたことはありませんか?



本人を直接見たり、話したりした時、写真の印象とのギャップがあり過ぎたら
ガッカリして、冷めたり嫌いになったりしませんか?



綺麗な写真がすぐに撮れる、いや、作れる時代だからこそ
等身大の内面の美しさを引き出す写真を生み出すことが必要だと俺は思います