どうもどうも、けいです。

 

「高校では何をしていましたか?」という問いに対して、

「地域の魅力を発信する活動をしていました」と答える私。

…ウソじゃないんですが、事実ではあるんですが。

なんかウソを言ってる気分。

 

そんなことから始まったブログシリーズ第14弾。

本日は筒石駅です。

 

ではでは、どうぞよろしくお願いします。

 

14-1.筒石駅 概要

筒石駅は、新潟県糸魚川市にあるえちごトキめき鉄道の駅です。

日本海ひすいラインのみが乗り入れる単独駅となっています。

この駅から糸魚川方面は、ひすいラインの始点となる市振駅まで

すべての駅が糸魚川市に位置しています。

 

駅は全長11,353mの頸城トンネル内部にあり、

全国でも5ヶ所しかない山岳トンネルの駅です

駅構造は対向式2面2線ですが、ホームは千鳥状に配置されています

これはトンネル断面を広げないための策のようです。

ホーム長は140mですが、ひすいラインの他駅と同じく

不必要な部分は柵で閉鎖しています。

 

ホーム番号はなく、Wikipediaは「西側」「東側」で案内しているため、

当記事でもこの表記に倣います。

しかしトンネル内なので東西南北など簡単に分かったものではない

 

西側ホームが下り直江津方面、東側ホームが上り能生、糸魚川方面です。

 

接近メロディーの設備が東側(糸魚川方面)ホームにのみ存在し、

曲はセブ○イレブ○Daydream Believer」となっています。

JR期から使われる「怖い」と評判(?)の警報音も併用されています。

 

なお、接近メロディーは西側の直江津方面ホームにはなく、

こちらは警報音のみが鳴動しています

また、接近メロディーは列車到着時に鳴り止みますが、

警報音は列車が通り過ぎるまで止まらないため、

列車の停車中はずっと警報音が鳴りっぱなしになります

このため、もしイベント列車なんかが長時間停車した日には…

 

どうでもいいですが、駅名の「筒石」というのは周辺地名からで、

決してトンネル内(=石の筒)に駅があることを指して命名したわけではありません

後述しますが、1969年までの地上駅時代でも駅名は「筒石」です

その「筒石」の由来は分からなかったのですが、

どういうわけかこの地には「筒石さん」という人も住んでいらっしゃるようで、

何らかの関係がありそうです(読みは「たけし」のようですが…)。

 

14-2.筒石駅 駅設備

上記したように、筒石駅は全国でも5ヶ所しかない山岳トンネルの中の駅です

(残り4つは美佐島、湯檜曽、土合、湯西川温泉)。

ホームは地上から約40m下の地点にあり、

ホームと駅舎とは約300段の階段で結ばれています。

これを見て「あれ?急行の車内放送ほぼそのまんまじゃね?」と思ったあなたは

まごうことなき急行のヘビーユーザーです

 

西側(直江津方面)ホームまでは290段の階段がありますが、総距離は176m。

対して東側(糸魚川方面)ホームまでは約280段の階段で済みますが、

距離は212mと長くなっています。

駅舎からは水平方向に少なくとも100mくらい移動することになります。

言うまでもないですが、エスカレーターやエレベーターはないので

頑張って階段を上り下りしてください

 

駅舎とホームを結ぶ階段の一部は、

建設時に使用された斜坑(筒石斜坑)を転用しています。

このため、列車通過時はホームが風穴のようになり、強風が吹き荒れます。

 

強風対策のため、ホームと地下待合室とは頑丈な鉄扉で仕切られていますが、

類似した構造をもつ美佐島駅のものとは違い、手動式の扉です。

また、階段を上り切ったところにも衝立があり、

駅舎に暴風が直撃しないようになっています。

 

列車通過時にたまにホームに出ている方を見かけますが、

速度の遅い急行1~3号ならまだしも

大抵の列車は高速で通過してくため非常に危険です(急行4号などもっての外)

貼り紙もありますが、列車通過時は決してホームには出ないでください

通過と乗車列車の停車が被った?やむを得ないので十分気を付けてください

 

駅舎はこぢんまりとした造りで、

ベンチが置かれている以外は目ぼしいものはありません。

公衆電話はありますが、スマートフォンが大普及した今使用率や如何に…

この手の駅らしく駅ノートは置いてあります。

 

筒石駅の乗降客数は近年だと20人いるかいないかのレベルなのですが、

トンネル駅という関係上、保安要員も兼ねて5名の駅員が配置されていました

JR期は「ジェイアール西日本金沢メンテック」へ業務を委託していましたが、

この業務というものが想像を絶するもので

24時間365日交代で勤務しながら、

列車到着時は毎度ホームに下りて安全確認を行うという、

世の中のブラック企業もかくやという壮絶さでした。

もう一度繰り返しますが、列車到着時には

毎回

あの階段を上り下りして安全確認の職をこなしていたのです。

本当に精を出す各所には頭が上がらねぇ…

 

一説には「筒石駅勤務になると嫌でも痩せる」とまで言われたこともあるそうで。

これで体重減らないっていう方が無理あるのですが

 

えちごトキめき鉄道移管後は駅員が3名に減らされたり

しまいにはえちごトキめき鉄道の直営駅に変更し駅員1人配置にしたようですが、

2019年にあえなく無人化となりました。

この職務内容で人員を減らすのはいくらなんでも酷だと思うが…

 

19年以降もえちごトキめき鉄道はなんとかして係員を配置できないものかと、

地元を含め様々な場所に当たったようですが、

受け手がおらずやむなく無人化するに至ったようです。

そりゃあ…ねぇ?

 

駅員退去後は窓口に板が張られて掲示板となり、

駅事務室入口は鉄板で封鎖されました。

が、閉鎖された駅事務室からは「ピーピー」という音が絶えず聞こえてきます…

 

トイレの設備ですが、改札外に1ヶ所のみとなっています

駅舎を出て左手に水洗式のものがありますが、

悲しいかな紙のセットはされていないのでご注意ください

改札内にはないので、ホームに下りる際はなるべくここで済ませるのが賢明です。

 

前3駅で書いてきた津波についてですが、

筒石駅の駅舎自体は海抜66m地点にあるので直接の脅威はほぼ考えられません。

しかしながら、旧筒石駅の跡地などで海岸端に出る際は注意が必要です。

 

筒石の集落はほぼ全域で5m以上の浸水が想定されており、

場所によっては10m以上浸水する想定があります。

到達時間については糸魚川市のハザードマップに記載がありませんが、

直前の名立地区の到達時間や、

想定断層の位置から考えて10分以内に第1波が到達すると考えられます

幸いにも筒石地区は山が近いので、海岸付近で大きな揺れを感じたら

津波警報を待たず直ちに山へ続く道を通って高所へ避難してください

(詳しいことは糸魚川市のハザードマップをご覧ください)。

 

14-3.筒石駅 周辺と駅の歴史

かつて、筒石駅の周辺は「磯部(いそべ)村」という市町村で、

やはり漁業などが盛んだった漁村の一つだと考えられます。

 

1911年に名立までやってきた鉄路は1912年に糸魚川まで延伸され、

この際に筒石駅も同時に開業しました。

 

当時の筒石駅は地上に駅がある、何の変哲もない駅でした。

位置は現在の磯部地区公民館(筒石集落)から直線距離で西に1.1kmほどの場所で、

筒石と名をつけながら当の筒石集落からは大きく外れていました

これは当時の磯部村村長が、筒石集落の西にある藤崎(とうざき)という集落の出で、

藤崎集落の利便性も考慮した結果だといいます

確かに旧筒石駅の位置は筒石集落と藤崎集落の中間なのです。

 

駅名もまた「磯部」とするのが当然でしょうが、

既に信越本線に磯部駅があったことからやむなく断念

村の中心(であるはず)の筒石という名前を付与することになります。

(小学校も公民館も筒石にあるから多分磯部村の中心だと思うのですが…)

 

名立駅と同じく、筒石駅も鮮魚の出荷や行商人で溢れ、

磯部村の活力を支える重要な施設となりました。

 

しかし、当時の北陸本線は劣悪な線形と土砂災害に悩まされており、

運休を幾度となく発生させていたことも確かです。

特にそれは筒石駅付近で顕著で、

筒石駅自体が土砂災害で被害を受けるケースも頻繁に発生します

 

元来、糸魚川~直江津間の地域というのは糸魚川静岡構造線至近ということで、

土砂災害が頻発する地域でした。

特に能生~筒石間はベントナイト質の凝灰岩が地表近くにまで広く分布し、

かつ破砕帯も多く存在するという、

まさに土砂災害がこれでもかというほど起きやすい地域だったのです。

そこに線路を無理矢理通したのですから、

これに悩まされるのもまた理というものです。

 

開業4年後の1916年に構内で地すべりが発生した際も新聞に取り上げられましたが、

この時点で新聞記事には以下のように書かれていました。

 

因に今回の大地辷りは同地方三十年來の椿事であるが、元來越後、越中、兩國は地盤脆弱の個所多く、豪雨等のため山嶽鳴動し、土地に亀裂を生じ、山河其の位置を變ふるが如きことは蓋し甚だ稀でないのである。

※だいたい現代でも通じる表現ですが、一応現代語訳しておきます。

ちなみに、今回の大きな地すべりは同地方で三十年来の珍事であるのだが、もとより越後、越中両国は地盤が弱い箇所が多く、豪雨などで山々が(地鳴りで)鳴り響き、土地に亀裂を生じ(地すべりなどの土砂災害を指す)、山や川がその位置を変えるようなことは、考えてみれば全く稀なことではないのである。

合ってるのかって?筆者が苦手なのは古文で、漢文はある程度はできるんです

 

大正の頃から土砂災害頻発地帯として知られていた筒石周辺。

その後も数年スパンで土砂災害が北陸本線を襲い、

1934年の地すべり時には新聞の見出しで「地獄にゐる様だ」と書かれる始末でした。

 

戦後になると北陸本線自体の需要が急激に高まることとなり、

貨物列車が全体本数の6割を占めるというエラいことになります。

それでもなお貨物は捌ききれず、東海道やトラックに横流しするほどでした。

これを受けて、国鉄は北陸本線の複線電化を検討することとなります。

 

しかし、国鉄が最終的に取りまとめた案は次の3つでした。

  1. 能生~直江津間を新トンネルで通過、筒石~郷津の5駅は放棄
  2. 能生~有間川間と谷浜~直江津間を短絡、筒石、名立、郷津の3駅は放棄
  3. 能生~名立~有間川間と谷浜~直江津間を短絡、筒石、郷津の2駅は放棄

※国鉄内ではそれぞれA案、B案、C案。以下この記事でもこちらに準拠

なお、どの案も浦本~能生間はトンネルで短絡するとされました。

 

このうちB案が費用面で最も有利とされたうえ、

事実地質調査が相当内陸部にまで及んだことから、

地元では「国鉄は全長24kmの世界最長トンネルを掘るつもりらしい」と

危惧されることとなります。

 

これは複線電化時に、

浦本~直江津間にある途中6駅がすべてなくなることを意味しました

(もっとも、これは地元の拡大解釈であり、

実際はA案になったとしても1つ能生駅は移転され残る計画だったのだが)。

 

地元は猛烈に反対し、

徒党を組んで国鉄に抵抗するようになったのは名立駅の記事に詳しいです

 

1964年3月には能生町、名立町、糸魚川市が一斉に複線化への反対決議を行います

これを受けて国鉄は住民説明会を開くことを決めました。

しかし、名立町は6月に住民説明会をすんなり受け入れたのに対し、

当時筒石駅と能生駅を擁していた能生町

(1954年に磯部村と他3町村合併で能生町を新設)は反対情勢で先延ばしになります

 

7月には漸く能生町での住民説明会も実現したのですが、

なおも能生町は国鉄に反対する態度を固持しました。

能生駅が移転されること自体に反対していたのに加え、

最終的に名立町が飲んだC案でさえ筒石駅が廃止になることから、

能生町は姿勢を崩さなかったのです

 

説明会直後に能生町は共同で反対していた名立町に、

国鉄への反対で歩調を揃えるよう要請しますが、

もはや自分たちの憂いごと(=名立駅廃止のおそれ)がなくなった名立町には

国鉄になお反対する理由は残っていませんでした。

そのため、名立町はすっぱりと能生町の要請を断ります

 

孤立した能生町ですが、それでも頑なに姿勢は変えません。

8月1日、能生町の反対期成同盟会は筒石地区で開いた会合にて

現在線確保」の方針を再確認します。

 

一方、国鉄や周辺自治体にとっては複線電化は優先すべきこと。

直江津市(現:上越市)や新潟県上越支庁が複線電化に積極的な反対をしておらず、

名立町も名立駅存続が決まった以上は複線電化を止める理由がありません。

8月18日、能生町が姿勢を崩さぬまま、

国鉄は理事会で糸魚川~直江津間の複線電化を強行決定

20日、直江津市での住民説明会で、C案での複線電化と9月中の詳細調査着手、

1971年3月までの複線電化完成を国鉄の意向として発表しました。

 

筒石、郷津の2駅は廃止対象となりますが、

沿線市町は「せめて漁港がある筒石駅だけでも」と筒石駅存続を要望します。

10月に入ると能生町の反対期成同盟会内でも

新線上への筒石駅移転もやむなしという意見が出始めました。

 

しかしながら、国鉄は筒石駅の存続に難色を示します。

筒石駅は存続するとなれば地下駅になります。

できないわけではありませんが、

そこまでして駅を残して、果たして利用者がいるのか

約1億円を投じる意味はあるのか

国鉄は代替バス輸送なら応じる姿勢を示しました。

 

一方の能生町でも、新線上での筒石駅存続についての是非が二分していました。

筒石駅を新線上で存続させる場合、位置的には筒石集落の至近となり、

当時の駅勢力圏にあった藤崎、百川、大洞集落からは駅が遠くなるのです

こうなると当該地区からはバスで能生駅に出た方が早くなります。

 

国鉄はこの問題をよく見抜いており、そのうえでのバス輸送提案だったのです。

ですが、能生町はあくまでも筒石駅の存続にこだわり続けました。

各集落が不便にならない筒石駅を、

筒石集落だけの得にならない筒石駅を…

 

能生駅の移設自体もまた懸念事項でした。

同時に能生町は移設後の能生駅や各種補償についての要望を国鉄に出します。

 

議論は平行線で進みました。

国鉄は「第2次5か年計画」を未達成のまま1965年に打ち切り、

「第3次長期計画」に主要幹線の複線電化を引き続き盛り込みます。

 

線増計画については東北、上越、信越、中央の4線とともに北陸本線も指定され、

北陸本線は1968年までにおおむね全線を複線化する計画でした。

しかし、初年度となった1965年度での進捗は全線357kmのうち、

半分ほどの約175km程度そのすべてが富山操車場以西だったのです。

 

富山~糸魚川間は1965年度内の全線電化と一部複線化を成し遂げますが、

糸魚川~直江津間は現在線線増すら未着手という有様

早くに片を付けたい一件なのですが、能生町との議論が進んでいません。

 

65年3月、国鉄は調査委員会、部内関係者を集め

「北陸本線糸魚川・直江津間線増ルート検討会」を開催し、

C案妥当との意向が出されますが、それでもなお筒石駅は廃止対象から外れず

検討会翌日には再び能生町との話し合いが行われますが、

能生町は筒石駅を存続させる方針を変えてはいませんでした。

 

一方、現在線のローカル線転用案も尽くぽしゃります

1964年5月11日、同じく北陸本線の旧線を利用していた

木ノ本~敦賀間の柳ヶ瀬線が廃線になっています。

この事例から、仮に糸魚川~直江津間旧線をローカル線に転用したとして、

同じ結末が待っているのみであるという結論に至りました。

土砂災害による運休という懸念も根本的解決になっていません。

 

しかし、バス輸送に切り替えた際の、特に冬季における定時性の不安、

運賃の高騰、魚の行商が困難という理由で鉄道を欲した能生町。

国鉄も具体的な補償案や代行案は用意していたのですが、

能生町がコレなのでその案も切り出せずにいました。

しまいには能生町に「国鉄が具体案を考えていないのではないか」と

訝しげに見られる始末。誰のせいだと…

 

このままではいつまで経っても工事が始まりません。

この間にも土砂災害で北陸本線は止まりました

 

ついには新潟県上越支庁長からも、

もはや国鉄としても駅を設置する方針を打ち出さなければ、

いたずらに着工を遅らすだけではないか」と国鉄が折れるべきとする意見も出ます。

 

1965年3月19日、国鉄はもう一度筒石駅を存続させる場合の詳細を、

特定幹部を集めたうえで副総裁・磯崎叡氏に説明し、

筒石駅を存続させる方針を打ち出しました

 

6月、当時の塚田新潟県知事は調停に乗り出す意向を発表し、

次いで能生町長、新潟県にも「存置の方向で検討」と伝えます。

 

1965年10月20日、国鉄は能生町、名立町と覚書を交換。

名立町はC案と名立駅の移転案了承を、

そして能生町はC案と能生駅・筒石駅移転案了承をしたのでした。

 

かくして筒石駅は、全長11km以上に及ぶ

「頸城トンネル」内に移設されることになります。

その工事もやすやすとは進まず、

5工区のうち第1~第3工区では幾度となく扛上などが発生

しかし、1969年1月7日に米原起点339km500m地点で第1、第2工区が貫通し、

頸城トンネル11kmは堀り抜かれました

 

1969年9月29日、浦本~有間川間が頸城トンネル経由の新線に切り替わり、

能生、名立の2駅とともに筒石駅も新線上へと移転。

10月1日には谷浜~直江津間の新線切替と電化が行われ、

北陸本線米原~直江津間全線の複線電化が完了することとなったのです

 

複線電化にあたっては25名の犠牲者も出しています。

中でも、有間川~谷浜間の長浜トンネルでは掘削中に落盤が発生し、

一度に5名が犠牲になりました

 

1969年9月10日、能生駅構内で工事碑と慰霊碑の除幕式が行われました。

工事碑には、当時の松本有・国鉄岐阜工事局長の文が刻まれています。

 

糸魚川 直江津間線増工事は大正二年以来 地辷り 雪 波浪 急曲線に悩まされ続けてきた暗い鉄道を 明るい鉄道に変革するためにおこなわれた
この工事の完成によって 多くの人々の苦悩を解消したことは偉大である
英知と情熱を頸城の地底にたたきこんで この偉大さを実現した人々を永久に讃えるためにこれを建つ
昭和四十四年九月十日

 

14-4.筒石駅周辺の施設・名所

・筒石駅 / 頸城トンネル

起点にして、頂点。

 

全国でも5ヶ所しかない山岳トンネルの中の駅です。何度も言ってますね

全国から鉄道ファンの来訪が絶えず、

えちごトキめき鉄道で最も有名な駅の一つとなっています。

 

えちごトキめき鉄道もこの駅の宣伝には特に力を入れており、

えちごトキめきリゾート「雪月花」の停車をはじめ、

普段は停車こそしませんが急行も当駅付近で減速運転を行います

(4号のみ例外で最高速度で通過します)。

 

その筒石駅が位置するのは、全長11,353mの頸城トンネルの中。

この頸城トンネルは2024年3月時点で、

全国の私鉄・第三セクター線では2番目に長いトンネルとなっています

(1位は13,870mとなるハピラインふくい管内の北陸トンネルですが、

執筆時点では未転換のため当トンネルが暫定1位です)。

腑に落ちないからと名立駅~名立トンネルも組み込もうとした人はお座りください

 

頸城トンネルはJR西日本移譲後にお得意の速度向上が行われ、

トンネル含む泊~直江津間の最高速度が130km/hになりましたさすが西…

 

在りし日の特急「はくたか」はその性能を遺憾なく発揮し、

特に廃止直前には特急「はくたか」21号が富山~直江津間66分

(表定速度108km/h)で結ぶというとんでもない記録を打ち立てています。

 

頸城トンネル内にはカーブがほとんど存在せず、

大きなものでは能生~筒石間の1ヶ所と名立駅場内の1ヶ所のみになっています。

良線形の恩恵は「はくたか」亡き後のえちごトキめき鉄道にも引き継がれており、

糸魚川~直江津間を28分で走破する急行4号は

当トンネル内で最高速度110km/hの全力疾走を継続します

 

なお、新線切替時点で営業キロの改キロは行われましたが、

施設上のキロ程は旧線自体のものが引き続き使われています

キロポストも旧線時代の基準であるため、

当トンネル含む糸魚川~直江津間は複数個所に断鎖

(ブレーキメートル)を設定しています

 

・筒石漁港

やっぱりあったか

 

ひすいライン沿線に点在する漁港群で、直江津方から数えて3つ目です。

かつてより漁業が盛んで、新潟県のHPによると

漁獲量は636トン、漁獲高は3億4100万円とのこと。

うち底引き網漁が全体の84%を占めます。

 

最も多いのが「たい類」で、次いで「にぎす類」が並び、

この2種のみで全体の半数を占めます

その次にほっけ、はぎ、かれい…と続いていきます。

そういえば広島県の一部地域ではウマヅラハギを「ハゲ」と呼ぶようですが…?

 

地元のスーパーマーケットでも、鮮魚コーナーを覗き込むと

時々「筒石漁港」のシールが貼られた商品があります

それほどまでに筒石漁港の魚は広く流通しているのです。

地産地消にご協力いただきありがとうございます

 

竿での釣りも可能なようですが、

何やらGoogleの予測変換に「釣り禁止」の文字が…?

 

筒石駅から徒歩14分です。

 

・旧筒石駅

筒石駅の旧駅です。

北陸本線旧線を転用した久比岐自転車歩行者道(県道542号)沿いにありますが、

これといって目立つものはないので初見だと見逃します

 

付近にはJAひすいの籾共同乾燥調製施設があり、

また本当にささやかながら「旧筒石駅」と書かれた小さな碑があります

郷津駅や名立駅はこのようなものがないので、ある程度親切なのでしょうか…

 

駅は国道8号線よりも高い位置にあり、遮るものが何もないため、

180度の視界で日本海を見ることが可能です

その分冬場は強風や高波の飛沫、舞い上がった砂などがモロに直撃しますが

運が良ければ能登半島あたりまで見えそうです。

有間川駅の地位がっ!

 

かつては出発時刻が近くなると

蒸気機関車が遠くから煙を吐きながらやってくる様子が見えたのでしょうか。

 

現在の筒石駅から徒歩26分です。

 

・藤崎海水浴場

筒石駅の西方にある藤崎集落に位置します。

「びびら浜海水浴場」とも言われ、北陸では珍しい遠浅の海水浴場です

 

砂浜も長いことから、様々な年齢層に人気のようです。

 

かつての筒石駅は藤崎海水浴場に近かったのですが、

新線切替で遠くなってしまいました。

なお、筒石駅開業当初の磯部村村長は藤崎出身です。

 

筒石駅から徒歩39分です。季節を考えると歩くのはキツイ

 

 

 

 

 

というわけで筒石駅の紹介でした。次回は能生駅になります。