鬱々とした記事、失礼しました。
でもこうやって心の整理をさせてください。
前の記事で書いたように、母に電話したら仕事の直後で、低血糖症状で手が震え出した、ダメかもしれないって言い始めたので、用件は済まず、改めて連絡することになりました。
でも私も仕事があり、出張があったり、ちょっと忙しい時期に入ります。
だから早めに連絡したのに。
なので、用件を手紙に書いて速達で送りました。
こういう関係にもう疲れましたし、母も感情的に揺れているのがわかりました。
このご時世あまり男性が女性がって言うと怒られるかもしれませんが、女性の母にとってはで理詰めでいくより感情に訴える方が効果があるような気がしました。
せっかくなので、ここで一石投じてみることにしました。
こんな内容で書きました。
電話をする度にまた拒絶されるかもしれないって怖さを抱えながら毎回電話している
子どもにとって親から拒絶されることほど辛いくて、傷つくことはない
連絡を拒否されるたびに僕も傷ついている
でも母さんの気持ちもわかっている
だからそういう行動をする自分を責め、さらにもっともっと傷つく
僕だって親を泣かせたくはない
そういう姿を見るのも、想像するのもすごく辛い
でも「これが愛ある懲らしめだ」って言うんでしょうね
北風と太陽のお話
冷たい風をどんなに吹き付けてもコートを脱がせることはできない
同じようにどんなに辛い気持ちを味あわせても、人はコートを脱いで心を開くことはない
神様は人の心をそうやって創ったのではない
「神は愛」だ、神様の支配的な特質は愛だって教えられた
「その愛に基づいて辛い懲らしめを与えている」っていうのも違うと思う
イエスはそう言っていない
放蕩息子の例え話
父親は息子が見えても、自分のところに来るまで待ってはいなかった
「ごめんなさい」って言うまで口をきかないなんてこともしなかった
反省したことがわかるまで召使いとして家に置くこともしなかった
遠くに見えた時に、自分から走って行って優しく首を抱いた
そしてすぐに新しい衣服を与え、宴を催した
神様はそういう方だってイエスは言った
これが神の愛だって教えられた
それでも「愛のある親は痛みを伴う手術を受けさせる」って言うかもしれません
麻酔なしでは受けさせる親はいない
術後もできるだけ痛みのないようにするし、痛がっていたら鎮痛剤を処方してもらったり、痛いところをさすってあげたりする
赤の他人である医者や看護師だって、できるだけ苦痛のないように予後を快適に過ごせるように心を砕いてくれる
人間がそうであれば、まして神様は本人にも母親にも苦痛を与える仕方で人を扱うことなんてされる?
母さんはどう思いますか?
それこそ自画自賛ですが、この展開、1日で考えた割には結構説得力あると思っています。
用件の後に書くと読まれないかもしれないので、その前に入れました。
あえて、「組織」「エホバの証人」「ものみの塔」という言葉は使いませんでした。
それが入っていると組織批判だと捉えられて、心を閉ざすと思ったからです。
私が言いたかったのは、聖書が描く神の愛とエホバの証人の行う忌避が全く相いれないということです。
そこに気づいてくれるといいんですが…。