ネットをダラダラ見ていたら、こんな記事を見つけました。
先日の記事で、体罰を時代のせいにして正当化するのは許されないはずということを書きましたが、同じように「昔はこんなの普通だった」とか「今はまし、もっとひどかったんだから」という声があがることもあります。
エホバの証人の鞭問題も同じで、「鞭があったから立派に育った」とか「親に鞭をしてもらって感謝している」とまで言う人もいるかもしれません。
そのように体罰を容認する人の背景について分析する調査がされていたようです。
2018年にホワイトボックスという会社が行ったウェブアンケートで、20歳~59歳の男女100人から回答を得られたそうです。
もちろん、サンプル数が少なくネット上での調査ということなので、統計的に有意とは言えないと思いますが、ある程度の傾向というのを推察することができます。
グラフをそのまま転載していいかどうか迷ったので、エクセルで作り直してみました。
①と②を比べると、若い年代ほど体罰が減っている代わりにパワハラの割合が高くなっています。
体の暴力から言葉の暴力へと変わってきたということが考えられます。
興味深いのは③と④です。
どの年代でも6~7割の人は体罰やパワハラが影響を与えなかったと考えているのですが、体罰を受けてきた年代の人ほどそれをプラスになったと考えていることがわかります。
しかもそういう年代ほど自分の子どもに対しても体罰を容認していくという傾向があります。
実際にもっとサンプル数を増やしたちゃんとした研究もされているようで、論文にもまとめられています。
「被体罰経験者はなぜ体罰を容認するのか」という論文で、筆頭著者は九州栄養福祉大学助教の久保昂大氏です。
論文にはこのようなことが書かれていました。
被体罰経験者に体罰容認的態度を保持する者が多い.
「体罰は辛いけど」のような否定的な感情を抱いていると同時に,「強くなれた」のような肯定的な認知を被体罰経験に対して抱いていることを提示している.
被体罰経験者が自身の経験を現在どのように捉えたり感じたりしているのかという点については,体罰に対して否定的な認知・感情を抱いている一方で,被体罰経験を肯定的に認知している者や,体罰を受けたことに感謝感情を抱く者が存在することが示されてきた.
被体罰経験に対する肯定的認知は体罰容認的態度と直接的に関連するが,被体罰経験に対する感謝感情は直接的に関連せず,被体罰経験に対する肯定的認知を媒介して体罰容認的態度と関連することが明らかになった.
つまり
- 体罰を受けた経験を肯定的に評価する人は、体罰を容認する傾向が強い
- 体罰に対する感謝感情が体罰容認につながるのではなく、感謝感情に加えて肯定的に評価する人が、体罰を容認する傾向が強い
ということのようです。
エホバの証人の鞭問題に関してもこういう調査をしていったら興味深い結果になるかもしれませんね。
鞭について「当時は世間一般でも体罰があった」とか、「親の鞭に感謝している」と言う人がどういう属性の人か。
そういう人が現役JWか元JWか、1世か2世か、体罰を受けてきたか、そしてその人の年齢層は?といったことを軸にしてアンケート調査して分析するのです。
なにかしらの傾向が見えてくるかもしれません。
まぁ、現役組が回答してくれることはないでしょうから、実現不能でしょうけど。
参考資料
ホワイトボックス社プレスリリース
ウェブサイト「アンチエイジングの神様」
論文「被体罰経験者はなぜ体罰を容認するのか―被体罰経験に対する肯定的認知及び感謝感情に焦点を当てた検討」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspopsy/advpub/0/advpub_2022-2110/_pdf/-char/ja
論文「運動部活動における被体罰経験者の体罰容認的態度に影響する要因」
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/6787392/hues0459.pdf