常識が教えていること | ウェルビーイングのおすそわけ

ウェルビーイングのおすそわけ

心と身体と社会的な“しあわせ”に関する情報メディア
(旧タイトル「カウンセラーからのおすそわけ」)

いよいよ、今日からウィリアム・グラッサー協会のインターナショナル・カンファレンスが始まりました。

グラッサーの基調講演は、メンタルヘルスを中心にしたものでしたが、これは日本選択理論心理学会の年次大会で報告があると思いますので別の内容をおすそわけしたいと思います。

基調講演で「常識」について触れられている場面がありました。
私たちは、知らず知らずのうちに、常識を基準にして物事を考えてしまいます。
この常識とは、いったい何でしょう?
常識が教えていることは、どんなことなのでしょうか?

グラッサー博士は、「常識とは、自分の行動とは違う行動をする人が世の中にいることを教えている。もし、皆が同じ行動をとるのであれば、常識は教える必要がないはずである。」と話されていました。
常識は、あくまでも大多数の人がとる行動様式を表しているにすぎません。
少数の人もいるのです。

しかし、常識という見方をすると少数の人の行動が許せなくなります。
この時に、外的コントロールの誘惑が私たちにささやきます。
「相手は間違っている。間違いを正すのは私に課せられている道義的責任である。」
自然界では、みんなが同じということはありえません。

花がバラだけになったらどうでしょうか?
果物がメロンだけになったらどうでしょうか?

これは、おかしなことです。
花は色々な種類があるのが自然です。
くだものも色々な種類があるのが自然なのです。
人間も、多数派がありますが、少数派もいるのが自然なのです。
その違いを調整する知恵が、与えられているのは人間だけです。
少数派の行動があってはならないというのは、少し無理があります。

安易に相手を常識に従わせようとして外的コントロールを使えば、かならず争いが生まれます。
常識が教えていることの意味を理解しましょう。
大多数の人とは違う行動をとる人がいた時には、おだやかで賢明な対応が必要です。
あなたならどんな対応をしますか?(yoshi)