鬱声話 | 日々点描

日々点描

笑え、俺

 人は会話をする時には、話の内容と共に相手の表情や仕草にも配慮して返答するのが好ましい。

 電話等では相手が見えないけれど、声のトーンで感情の忖度が可能である。

 昨今、メールやらラインやら文字のみの会話となり、それでも文章の物言いや相手の顔が判っている範囲で、こちらの返答を考えて考慮する余地は残っている。

 

 そこにきて、自動音声の無感情無配慮にムカついている。

 

 例えば、酷い便秘時に便座で“考える人”姿勢で静かに時と状況を待っている際に、自動音声で

「洗浄してから立ち上がり下着を上げてください。その後、水洗レバーを押して退出してください」などと、涼やかで清楚な女性の声で慇懃無礼に告げられたら

「じゃかましぃわ。今、踏ん張ってる最中でしょうがぁ」

 誰もが激昂して、思わず拭くのも忘れて立ち上がり、声の限りに叫ぶのは間違いないのである。

 

 さっき、スーパーで買い物をしてきた。

 セルフレジで生ものを“ピ”したあと、ペラ袋にモタモタ入れている最中に

「商品を買い物袋に入れてください」とか、脅迫的にこきやがる。

 小心者の俺は大いに焦り捲り

「へえすんませんすんません。愚図で誠に申し訳ありません」

 声には出さないが、心が平身低頭詫びていた。

 

 人は、相手を見てこそ心が通じ合うのである。機械如きに感情を揺さぶられて狼狽する自分に、無性に腹が立ったのである。

 いよいよ世知辛い時代になったもんだ。