気づいても行動しない『気づくだけの人』を否定していた | 淡路島のカメラマン・清水翔平

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淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

今日は

「気づいても行動しない『気づくだけの人』を否定していた」

というテーマでお届けします。 

 

 

今年に入ってから、

様々な形での「困難」と思えることに

向き合ってきました。

 

 

離婚協議がなかなか進まないこと。

お金の不安が膨れ上がっていたこと。

 

「行動しなきゃ」と焦る気持ちの裏で、

行動の意欲が上がらずに

時間だけが過ぎていったこと。

 

めぐとのパートナーシップがうまくいかないこと。

僕が嫉妬心や不安に囚われる度合いも頻度も大きくなっていたこと。

 

別居したいと言われたこと。

その理由が、僕の「見たくない姿」を見ないようにするためだということ。

 

 

 

仕事やパートナーシップの分野において、

 

「出来事ハンマー」と呼ぶべき

非常に強いマイナス感情を伴う出来事を


2021年の比ではないほど

多くの回数経験しました。

 

 

 

僕はその度に、

自分の心に巣食っていた「エゴ」の存在に気づいて、


大元にあるエゴを手放すために

 

テーマを決めては、現状を直視し、

エゴの手放しに取り組んできました。

 

 

 

いつのまにか

僕の「エゴの手放し」のテーマはどんどん増えていき

 

今ではほとんど常に

 

「自分が今、どれくらいエゴに囚われているか?」

 

ということが

肌感覚レベルでわかるようになってきました。

 

 

「エゴに囚われている」

 

ということに気づけたとき、

それを手放すという道が現れるのです。

 

 

気づけないと、

 

「原因はわからないけど人生が苦しい」

「何度も同じパターンで辛い出来事を経験する」

 

という状態がずっと続いていくのだと思います。

 

 

 

だから、

「気づく」

というのは、とても素晴らしいことだと思うのです。

 

 

僕は、

「〜ということに気づきました」

ということをわざわざ書いたり発信したりすることに

抵抗がありました。

 

 

気づくだけで、そこから先行動しない人を

否定していたのだと思うし、

 

気づいても、結局行動できない自分のことを

誰より否定していたのだと思います。

 

 

 

前に所属していたコミュニティで

「気づくだけの人」に対する

メンターからの否定的な言葉(僕の捉え方です)を聞いて

怖いな、と感じたこともありました。

 

 

ーー

 

 

自分以外を否定していると

怒りや「残念だな」という気持ちを経験するし、

 

自分を否定していると

「自分は何てダメなんだろう」

と自分を責めてしまう、ということを経験します。

 

 

 

「気づいても、行動できない他人や自分を

否定して、辛い思いをするくらいなら、

最初から気づかない方がましだ」

 

とさえ思っていました。

 

 

 

確かに、行動することは大事です。

けれど、その手前には

必ず「気づく」という段階がある。

 

 

僕は、「気づき」を大切にできるようになりました。

 

何か自分に対して「ダメだな」と思うことがあっても、

「気づいていないよりもマシだな」と思えるようになりました。

 

 

 

「気づく」ということを肯定できるようになってから

僕の人生はだんだんといい方向に向かうようになりました。

 

 

 

今日も、気づき続けたいと思います。

 

気づいて、改善し、行動し続け、

その実体験を書く場所として、

ブログを書き続けたいと思います。

 

 

淡路島で咲いていた花。

 

写真をやっていてよかったなと思うことは、

日常のいろんな場面の中で、美しいものの存在に気づく力が身についたことです。

 

気づかなければ、撮ることもできません。

 

写真をやればやるほど、気づく力も上がっていきます。

それが、その人の写真を作り上げていくのだと思います。