今日は
「家系図が教えてくれた自分の使命」
というテーマでお届けします。
みなさんは
ご自分の家系図って見たことがあるでしょうか?
僕は大人になってから、
父に見せてもらったことがあります。
ある時僕は
「自分の家系を知りたい」
「自分のルーツを知りたい」
という衝動に駆られる時がありました。
ちょうどその時期、
父親が実は家系図を独自に作っていて
それを家で大事に保管している
ということを知ったのです。
父はある時、市役所に足を運び、
辿れる限り戸籍謄本を過去に遡って
その戸籍謄本に書かれた情報をもとに
図に書き起こしたそうです。
戸籍を遡れたのは、
僕から見て6代上の祖先までで、
江戸時代末期を生きた
一人の男性の名前が家系図の頂点にありました。
その戸籍の情報を見て
分かったことがいくつかあります。
それは、
・僕の先祖は代々、宮城県仙台市にある上愛子(かみあやし)出身であること(仙台の中心部から少し離れた山間の地域です)
・6代上は「早坂勘作」さんという方で、早坂家はどうやら伊達家に仕えた家臣の一派であること
・僕の直接の祖先は末っ子が多く、3世代連続で養子縁組で他の家に出されてきたこと
・苗字も養子縁組のため3回ほど変わっていること
・祖父母の住む福島県郡山市には、曽祖父が単身、移ってきたようであること
また、福島県郡山市の歴史を調べて分かったことは、
・曽祖父が移住した当初の郡山市は、荒地から開拓された直後の、できたばかりの町だったこと
そこからなんとなく想像するのは、僕の先祖は代々、
・末っ子や養子であることから、家業を継げなかったこと
・あまり裕福な環境ではなかったこと
・丁稚奉公をしたり、自分で事業を立ち上げるしかなかったこと
・曽祖父ひいおじいちゃんは、町の開拓期を生きた人であること
ちなみに、僕の祖父の兄弟は僕の知る限り
ほとんどが自営業者でした。
そして知っている限り、
何もないところから
ゼロベースでスタートしてきた人たちでした。
僕の祖父は、8人兄弟の6番目で、
祖父の実家に家業があったのかは分かりませんが、
とにかく祖父は外に出て仕事をする必要があったようです。
(僕の祖父は、中学生くらいの年代から郡山の軍需工場で働いたのち、
10代で単身東京・大井町に出て機械部品加工の修行を積み、その後福島に戻って30代で自分の鉄工所を立ち上げ、
60代半ばまでコツコツと受注した部品を加工しながら、ずっと一人で自分の会社を経営していました。)
ーー
祖父や祖父の兄弟の話、
福島県郡山市の歴史、
そして清水家の家系図
これらを照らし合わせてみると、
どうやら清水家の祖先は代々、
「何もないところから、自分で人生を切り拓いてきた開拓者」
という特徴が浮かび上がってきました。
なんだかそれって、
ちょうど今の自分みたいだなと思えたのです。
20代後半で
ろくな機材も技術もなく、
元手となる資金もない中で
いきなりカメラマンとして独立して、
自分でカメラマンとして生きる道を
切り拓こうとしている。
そんな自分の姿が
清水家の祖先の方達に重なりました。
そう思えた時、
僕はなんだか嬉しくなったんです。
ーー
「人生の使命」とか、
僕はどうでもいいと思う方でした。
そんなもの見つからなくたって
自分で決めたことを
使命だと思えるくらい
やり続ければいいと思っていたし
「使命さえ見つかればうまくいくのに」という雰囲気で、使命を渇望しているような人に対して違和感を抱くことも多かったのです。
でも結果的に今、
家系に脈々と受け継がれてきた
「使命」の中を僕が生きているような気がしました。
そう思うと、僕はとても
勇気をもらえた気がしたんです。
「やっぱりこれで良かったんだな」
僕の中には、
自己肯定感が上がった感覚がありました。
家系図が、僕を後押ししてくれているように感じるのです。
僕の祖父母の家(今は僕の実家になっています)には
僕が生まれるより前から
曽祖父と曽祖母の遺影が飾ってあります。
遺影の中に写る二人の顔は
どことなく険しい顔つきで
子供の頃僕は「なんか怖いな」ってずっと思っていました。
(清水家の親戚は、男女問わず
ちょっと迫力のある顔をしている人が多い印象です)
でも今はなんだか、
遺影の祖父母の顔が
とても頼もしく思えてくるのです。
祖先の方への感謝の気持ちを時々思い出しながら
一生懸命に生きていけるとしたら、
とても豊かなことだなと思います。
今日も素敵な1日をお過ごしください。
Model: めぐ
Location: 山陽小野田市