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しんぷのこえだめ2

皆さんの声を貯めて力に変える肥溜めです

昨日の今日で続けざまに
次の記事を上げるのは忍びないけれど、
今の気持ちを忘れないうちに
書いておきたいと思うので、
今日もまたひとつ書かせてもらいます。




そう、今日のお題は、
タイトル通り「不幸自慢」



僕はご存知の通り、
精神病院に通う1人です。

そんな精神病院には、
この「不幸自慢」をする人が
結構な割合でいます。


さて不幸自慢とは何か?


それは簡単な例を出すと
「私は今まで、こんな大変な思いをしてきたの。
   あなたはこれほどじゃないでしょ?」

と自分の不幸の経歴で、
他者より優位に立とうとするのです。



僕も最初のうちは
「そうなんだ。大変だったんだね!
   よく頑張ったじゃない!」
と、話をちゃんと聞き、
それに共感するようにしていました。


しかし、最近それが
出来なくなってしまったのです。



それはなぜか?



それはその人に限らず、
誰しも、みんな、
それなりに不幸な体験をしているというのに
あたかも自分だけが悲劇のヒロインのように
その不幸を逆手にとって自慢するからです。


まぁ、別の見方をすれば、
それだけ、その人は
それ以外に自分を肯定することが
無いのかもしれません。

そういう意味では
間違いなく不幸です。


でも、思うのです。

「あなただけが大変なんじゃない!
   生きるというのは
   誰にとっても大変な事なんだって!」と。





キリスト教を少なくとも信仰している僕が
話す例えではないかもしれませんが
仏陀のエピソードで
こんなのがあります。


『ある日、仏陀の元に
   息を引き取った幼い子供を
   抱いた母親が訪れました。

   「私は大事な子供を亡くしました。
      その死に耐え切れません。
      どうか、この子を生き返らせて下さい!」

   そこで仏陀はこういいました。

   「この村に入って、一軒一軒訪ね歩き
      その家々を回って、
      家族を亡くされた人はいないか、
      聞いて回りなさい。」


  そに母親は、促されたように、
  一軒一軒訪ね回り、
  全てを回り終えて帰って来ました。


 仏陀は
     「どうだったかね?」
と聞くと、

母親は
    「どの家も大事な家族を亡くされた方々
       ばかりでした。」

そこで仏陀は
    「あなたが痛みを持っているように
       他の人々も同じ痛みを経験しているのです。
      死は自然の摂理。
      あなたも他の人々と同じように
      その死を受け入れることが
      できますように」

仏陀はその母親の願いを聞き入れられません
でしたが、そのように哀れみを持って
彼女の痛みを寄り添いました。』






この例えで僕が何を言いたいかといえば、
不幸や痛みは誰しも感じたくはないけれど、
誰もが通る道だし、
その経験は一人一人違うわけで
他の人が肩代わりできないのです。

ですから、不幸自慢をするような方々は
それによって自分を
保ちたいのかもしれませんが
できうるならば、
その痛みを通して、
他の人々の痛みや不幸に寄り添うこと。

これこそが彼等の痛みを享受する
最良の道だと思うのです。



僕もこのブログで
自分では意識していなかったにせよ、
少なからず、不幸自慢をしていたかもしれない
と、思う節があります。


しかし、だからこそ思うのです。
不幸を自分の自慢話なんかにしておかないで
その経験を元に、
誰か苦しんでいる人がいたら、
自分の経験も踏まえ、
寄り添ってあげて下さい、と。


そういう道こそ
彼等に託された使命、
不幸を負った者の強みだと思うのです。






今回もまた長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


次、いつ、更新できるかわかりませんが
何か思いついた時には、
またつづらせて頂きますので、
またお付き合い下さい。