既に僕が32年間ずっと沈黙を続けてきて、
溜まり溜まった念いを今正に吐き出している最中だという事については以前話しました。
僕はずっとその沈黙の中で何を求めていたかというと、
単に僕が知りえない知識を人から求めていただけでなく、
その人の発する言葉から、その人に合った返答をする為に、
あるいはその人に自分の想いをより伝えやすくするに相手の言葉、大事にしている事、想いを、
十分に理解する必要があったから沈黙をしていたのです。
しかし、このblogでは一方的な僕の発信だけでしかなく、
不特定多数の相手という次元で、反応というモノも少なく、
相手にとってより理解しやすい言葉を捜す当てもなく、自分本位な言葉でしかつづれなかった事。
それが一番僕が伝えたかった事が伝わらなかった原因ではないかと思っています。
僕には以前の記事に上げたように、2分する両極端の心が混在し、
ありのままの自分の姿を変形させるような自負が強い事がありました。
もちろん、今もそれが抜け切れてはいません。
人の悲しい話を聞くと、それを自分の事のように想い、不安になること。
それは自分が常に不安に駆られているからだという事に気付きました。
その不安から人に対して誤った憤りを感じたり、
逆に言葉にいいつくせないような悲しみに陥ったりと、
不安で不安を埋め尽くすような状態になっていました。
ありのままの自分はまだまだ未熟者で取るに足りない存在なのにも関わらず、
誇大妄想の自分本位な気持ちが高く、上から目線で強引で卑劣な言葉を投げていたように思います。
本来の自分は32年間続けてきたように人の話を素直に受け止めて、
相手に即した形で助言なり意見なりをいえたのですが、
今の自分をみつめると、様々な事に憤りばかり感じていて、
そこには謙虚さのかけらもない様ばかりでした。
それについて、深く反省しています。
結局のところ、自分の不安を人にぶちまけていただけの
愚かな人間の発言でしかなかったように思います。
人と接するのに一番大事な姿勢を忘れて、
自分の事ばかりゴタクを並べているようでは、人の心に届くような言葉にも文章にもならない事。
それを今更ながら感じている所です。
相手を知りもしないで、また社会をちゃんと見つめもしないで、
自分の妄想の範疇でしか語ってこなかった自分が今ではとてもはずかしく思います。
やはり初心に戻って一からやり直す必要がある気がしてなりません。
僕の心の中で足りる事を知るというのは、
そういう自分の中の不安に、あるいは自我に押し流されないで、
宇宙の大きな流れの中に身をおいて、
自分を律しながら、謙虚に人の言葉に耳を傾け、
必要とあらば、それに意見をし、
あとは沈黙のまま、その人が自ら自分の過ちや自分のあるべき姿に気づく事を待つ事。
この余裕なくしては、大事な事は決して伝える事ができないと思うようになりました。
心の中の不安を人に押し付けたり、人から安心をもらえるように依存するのではなく
自分で自分の不安を知り、その不安を自分の手で確認しながら解消していく。
それをしなければ、いつまでも同じ事の繰り返しであるし、
また不安は不安を呼ぶので、いい連鎖にはならない事。
それを自覚するということです。
ですから今まで自分の愚かな事で数々の失態をしてしまった事。大変申し訳なく思っています。
これからも勿論、浅はかな僕なりの意見を発言させて頂きますが、
まだまだ勉強中の身。誤った意見なり言葉なり数多く見受けられると思います。
その時は遠慮なく、ご意見頂ければ幸いです。
今は気持ちを新たに自分なりに前進できたらと思いつつ、
日々の生き方をみつめている最中です。
今までご覧になって下さった方々、あるいはこんな未熟な僕の事を温かく見守って下さった方々に
お礼の言葉をして終わりとさせて頂きます。
本当にありがとうございました!