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しんぷのこえだめ2

皆さんの声を貯めて力に変える肥溜めです

前々回のアリアドネさんのコメントを踏まえまして一言。

紹介してくださった記事を拝見し、やはり思ったのは足りる事を知る、に尽きます。



僕が2つの記事を読んで思った一番肝心な事は、
物に対する執着心が強すぎる事。
これ以外にないです。





僕が憧れを持つモンゴルという国の人々について、
敬愛する司馬遼太郎さんがこんな事を書いてます。



前置きとしてモンゴル人は遊牧民で、
移動式の家「ゲル」に住むため、
移動できる範囲の最小限のモノしか持たない人々です。



さて司馬さんはあるモンゴルの旅にてこんな体験をされたそうです。

あるモンゴル人のお宅へ訪問した際、
客人のもてなしとして羊を一頭さばいて大宴会になったそうです。
その時、彼らは塩で味付けして出されました。
司馬さんは持参した一味トウガラシをかけて皆にふるまったところ、
おいしいと評判になり拍手喝さいとなって幸せな一夜を過ごしました。

しかし、それから帰国して、もう一度行った時、
また同じように塩でしか味付けしないで出してくるではありませんか。
司馬さんはこう聞きます。
「なぜ一味トウガラシを教えたのに、あれをかけて食べないのか?」

すると一人のモンゴル人はこう答えました。
「僕ら遊牧民はトウガラシのような農産物を農地を開墾してまでつくらない。
 僕らの生活習慣には合わないから、よって作れないモノはつかわない。  」

そして彼らは塩だけで味付けした羊肉をおいしそうに食べたとの事です。



モンゴル人はこういう生活を1000年以上もの間ずっと続けてきました。
極々シンプルな生活スタイルの中で
彼らなりに楽しみもあります。
それはたまに知人と集まって羊をさばき、それを魚に宴を開く事。


僕ら日本の現代人もスタイルは違うけれど本質的には同じ事をしていませんか?
ハレとケの生活は、どこの国にも共通していえる事。
そして多くを求めなければ(足りる事を知れば)、
そんなに物を求めて毎日あくせくした日々を送らなくても
十分事足りる生活が送れるのです。

まさかモンゴル人のような生活をしろとは言いませんが、
彼らのいう事にも一理あるような気がしてなりません。



ふと、僕は自分の周りにある物でなくなったら困る物があるか?と考えました。

結論からいえば、ない。です。

確かに一時的にはなくなっては困る物もあります。
しかし、根本的に必要な物という物は僕の周りには見当たらないのです。

ただ、物ではなく人は亡くなると困る人がいます。
いや亡くなると困る人ばかりです。


僕にとってはパソコンも携帯も、勿論知識を得るためにも使っていますが
一番はその大事な人とのコミュニケーション手段として必要としているだけであって、
その物自体がなくなったら困るかといえば、取るに足らない物だったりします。

あくまでも手段であって、一番大切なのは物じゃなく人です。

そこを勘違いしたまま、
「携帯がないと生きていけない。」とか
「これなしでは私はいきられない。」とかいう事は
物に執着しているだけじゃないかと思えて仕方ありません。



僕の念いとしては、ないモノを求めるんじゃなくて、あるモノで足りる事を知る。
そして、そのあるモノで近しい人とより楽しめる間柄を築く。

これ以上に至福の時はないように思います。


経済社会のあり方については、勿論考え直す必要があるでしょう。
しかし、いくらいい社会システムが考え得たとしても
それを支持する国民がいなければお話にもなりません。
ですから、僕の浅はかな発言で価値観が変わるとは思いませんが、
これをヒントに今までの生き方を見直すキッカケになったらいいのにな。ぐらいには思っています。



まぁこれもまた浅はかな持論にしか過ぎないので、
もし何か間違いを感じたら、正直におっしゃってください。

僕の考えだけが正しいわけもなく、
勿論あなたの意見も知る事でより僕の考えも深まるというモノです。






今回も僕の下らない持論にお付き合い頂きありがとうございました!