シンポジウム『死生観、終末期医療、国民教育』 | ほっこり 知恵袋

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ASIAN AGING SUMMIT 2014に行ってきました。超高齢社会における医療や各種産業はどのように関わっていけばよいのでしょうか?3日間にわたるシンポジウムのなかで、私が参加したのは「死生観、終末期医療、国民教育」でした。座長は、千葉大学名誉教授の齋藤 康さんでした。

終末期医療を考える上で、ポイントになることは、高齢者の多様性にあるそうです。
健康な人、健康になれる人、介護が必要な人、意思が通じる人かそうではない人か。
それぞれの置かれている立場によって、望まれる「死生観」も変わってくるのではないか?「死」は、大きく2つの捉え方があります。1つは、医学的な視点、もう1つは、人の営みとしての視点です。シンポジストの先生方の話は、この点によって進められました。


1「看取り医」として、お話しくださったのは、東京大学名誉教授 都立松沢病院の医師 大井 玄 先生です。「看取り」では、苦痛をとること、本人の嫌がることはしないことが大切のようです。看取られる人は、その人が紡いできた世界で、残された人は繋がっていること、まるっきり縁がなくなってしまう訳ではないことをお話くださいました。特に印象的だったことは、認知機能が衰えていくなかで、最も気持ちが通じるケアは、五感を使うということです。言葉ではとりにくいコミュニケーションも、優しく触ることで、通じてくるそうです。ちょうど、産まれて間もない赤ちゃんが母親の乳を吸うのと似ています。
2評論家の樋口恵子さんのお話は、介護や看取りをどこでしたいかということでした。介護を受けたいところは、自宅を望む人が30~40%もいます。看取りの場所も、自宅を望む人が多いそうです。寝たきりになるきっかけは、男性の場合、脳血管障害が多く、女性では骨折が多いそうです。特に女性は男性よりも寿命が延びたのにも関わらず、健康寿命が男性よりも短いそうです。約3年も短いのは驚きです。
3宗教家から見る死生観、終末期
僧侶であり、芥川賞作家でもある、玄侑宗久さんのお話も素晴らしかったです。
万葉の時代では、「死」というものが、避ける、去るという意味で使われていたそうです。魂が去る、別のところへ行く。日本では独特の仏教が発展し、輪廻なしの考え方があるようです。日本人にとって、「あの世」とは回帰を表し、いったこともない極楽浄土ではなく、どこか懐かしいところであるそうです。死の捉え方で、命への執着はないように思います。どのようにこの世を去るかという、死ぬ瞬間を大切にしているようにも思います。
メモ感想
死生観から見る終末期は、どのように現世から去るかにあるように思います。現世からのお別れであると同時に「あの世」への旅立ちになるわけです。それは、自然な生物の死であると同時に、人間として魂を持った人格の旅立ちのように思います。私達は、終末期を考える時、「人」としての魂の旅立ちに満足していける環境を作っていくことが大切なのではないでしょうか。それには、医療だけではない、精神的に満足できる環境、人間関係、地域社会が必要なのではないかと思いました。