19の花束 | LIVESTOCK STYLE

LIVESTOCK STYLE

風琴工房詩森ろばのブログです。

penalty killing -remix ver.-

東京公演終了しました。

2000人を超えるお客さまに来ていただきまして、

正々堂々、風琴工房集客記録大幅更新のお芝居となりました。

ありがとうございました。

この化け物みたいな作品を振り返るのはでも、

豊橋公演のあとにしようかな、と思っています。

 

今日は、でも、ひとつどうしても書いておきたいことがあって、

ブログを更新することにしました。

 

千秋楽が明けた翌日、

わたしはある場所に向かっていました。

 

「海の凹凸」という作品を9月に俳優座さんに

書き下ろしたのですが、

その際、「hg」でお世話になった加藤たけ子さんに

東京と水俣で取材させていただきました。

そして、たけ子さんは、

水俣病の当事者でもある永本賢二さんと

penalty killingを観に来てくださったのです。

 

それで、水俣に帰る前に遊びましょう、

というお約束をしていて、

それが昨日でした。

 

今回来ていただくにあたっては、

わたしより、

水俣取材に同行した田島亮くんが

いろいろやりとりしてくれていて、

それは、水俣で永本さんと忘れ難いひとときを

もった田島くんが、

どうしても復帰の舞台を永本さんに観て欲しいということで

無理を言って来ていただいたようなのです。

 

それで、田島くんから加藤さんが行きたいと

言っている場所がある、というlineをもらったのですが、

それを見て、

ああやっぱりたけ子さんは特別なひとなんだ、

と思わざるえませんでした。

 

そこには、

「津久井やまゆり園に行きたい。」

と書かれていたのでした。

 

水俣で胎児性の患者さんたちの

共同作業所をやってらっしゃる加藤さん。

仕事をし、デイケアをし、宿泊もできる施設を作り、

いまは、

グループホームも作りあげました。

10年前に聞いていたことのほとんどをいま水俣で

成し遂げられています。

 

そのなかで印象的だったことは、

「わたしは借金してでも町の真ん中に施設を作りたい。」

というお話でした。

じっさいグループホームを作るときには

山の中の土地なら提供する、という市の申し出もあったそうです。

しかし、それをよしとせず、

いまホームは水俣市のまん真ん中に立っています。

そんなたけ子さんだからこそ、

やまゆり園は自分の場所であり、

見ておくべき場所だと考えたのでしょう。

 

やまゆり園の事件は、わたしもとてもショックを受けました。

電車もない不便な場所に建てられた施設。

そこに押し込めているのは社会であるのに、

そこですら安全に暮らせなかったということに対して、

贖罪の意識に近い気持ちをいまも抱き続けています。

 

でも、やまゆり園を訪ねた、というだけならば、

わたしはこの文章を書こうとは思わなかったでしょう。

 

高速道路に乗ってから、

たけ子さんが、途中で花屋さんに寄ってほしい

と言いました。

やまゆり園のある場所に大きな花屋さんがあるとは

思えなかったので、

八王子の花屋さんにお連れしました。

そこで、たけ子さんはおっしゃったのです。

 

「小さい花束を19個作りたいのです。

ぜんぶ違う種類の花束を。」

 

と。

 

それはとても当たり前のことをいうように、

まったく気負わないカンジで発せられました。

たけ子さんは、たぶん、

いつもいつもそうやって、ものごとを考えているのです。

それはまったく特別な発想ではなくて、

彼女の哲学であり、世界なのです。

 

ぜんいん違うひと。

19人の。

生きられなかった、

生きるはずだった、

そのひとたち。

 

たけ子さんは、どんどん花の取り合わせを選んでいきました。

そして、これでいいかしら、と言ったとき、

花束ちょうど19個作れる花が選ばれていました。

 

たったひとつの行為に、

こんなにも教えられたことが

かつてあったか記憶にありません。

 

たけ子さんは実名報道されなかったということに対しての

思いも口にされていました。

気遣いという名の差別。

親御さんのお気持ちは十分すぎるほど理解できるけれど、

それでも、なぜ生きたということすら、

彼らは抹消されようとしているのか。

 

水俣の、あの場所。

たけ子さんが作り上げて、

呼吸をする、生きるための場所。

障害のあるひとのための施設は、

じつはわたしたちの生きることと同じ場所にあります。

彼らが生きづらい世界は、

わたしが生きづらい世界です。

彼らのためにしてあげる、のではなくて、

わたしのために、わたしはどうすべきか、

という問題なんだと思うのです。

 

 

26日で一年ということで献花台が設けられていました。

そこに捧げ、祈ることもできました。

少しでもこの花束が、

彼らの魂に届きますように。