日本の歴史と日本人のルーツ -4ページ目

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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大里宿

西生(さいしょう)寺に今も遺る
毛利家の猛将 
福間元明の碑
福間元明は天文8年(1539年)生。16歳の時、毛利元就のお側元に勤め、度々の合戦で武勲を揚げました。その中でも尼子氏の勇将山中鹿之助「われに七難八苦をあたえ給え」と三日月に祈った尼子十勇士のひとりを討ち取ったのは有名です。
福間元明は天正6年(1578)の上月城の戦いで捕らえられて備中松山城の毛利輝元のもとへ連行されていた山中幸盛(山中鹿介)を備中国阿井(あい)の渡で討ち取っています。 そして、天正14年(1586年)、豊臣秀吉の九州出兵(薩摩攻め)に参加し、大里の浜で戦死しています。享年48歳でした。元明の遺体は大里の浜に葬られ、松を植えて標(しるし)としました。文化3年(1806年)、元明の子孫にあたる福間政方はその武勲を表す為、松の傍に石碑を建立しました。 その後、 石碑は転々としましたが、昭和15年頃境内に移されました。
大里は小倉戦争の激戦地
秀吉九州征伐の激戦地
九州玄関口の重要な地なのですね。




参考


西生寺と大里宿について


北九州市門司区大里本町1丁目8−8