梶栗郷台地駅の歴史、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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寄稿

「梶栗郷台地駅」開業から15年余り経過した想い!知ってるかい!一緒に活動した一人より


何気ない毎日が過ぎ去る中、「おいちゃん」と呼ばれる年頃となり、標題の新駅開業に向けた当時の関係者との充表した会話や行動が、ふっ〜と熱い心の記憶として想い浮かびし涙も流され、一つの目標に向けてがむしゃらに走り回った記憶が昨日のように蘇る。


歴史を紐解けば、現在の「山陰本線」も大正3年(1914年)4月22日、長州鉄道によって開通されたが、翌年6月には国が買収して種々設備も整備され、近代的鉄道網による交通体系が整っていった。


家団地及としては、安岡駅に次いで福江駅が新設された。そのような中で、梶果地区でも駅が遠いことに不便を感じさるを得ない状況もあり、地元の有志による「梶栗駅」新設に向けての機運が高まり、昭和9年4月14日梶総代2名により門司鉄道局長へ請願書が提出された。(安岡村役場記録より)


請願書別紙には、「梶栗・富任・蒲生野・川中」の146名にのぼる署名が添えられた。これらの地区の新駅設置への熱望が叶い、国年8月「かぢくり駅」新設が着工され、翌昭和10年10月1日に完成した。(掲載写真(写し)参照)


その結果、地元の人々は鉄道の便利に浴したが、戦争などによる燃料統制から、地元の切なる願いも空しく6年近くで廃駅(昭和16年8月10日)に追い込まれる。


時が過ぎ高度成長期に入り、廃駅海側方面へ住宅需要が押し寄せ、市営・県営住宅など宅地開発が進み、田畑だった地域も様変わりし一極集中の個人病院の建設や周辺の人口の増加が見込まれ、平成に入り再び「新駅復活」の気運が高まった。内日・川中・安岡・吉見・勝山それぞれの支所管内の市議会議員・連合会長・支所長で構成する「山陰はまゆう会」から、地区発展に向けた要望事項の課題として取り上げられ、JR西日本鉄道へ要望された。


時を同じくして、下関市議会では「老朽化した下関駅舎の改築と市内の中間駅整備(案)」の検討が進み、当新駅建設事業費と地受益者負担などについて、下関市関係事業課から安岡へ打診の説明を受け決断を迫られた。


これを受け安岡側から川中地区の関係者と何度も協議を重ねた結果、平成18年8月、安岡・川中を中心とする新駅期成同盟会が発足され、新駅建設が実現化する。


地元負担金募金活動に安岡では、安岡自治会連合会長・副会長及び各自治会長を中心に趣意書をもって、一口10,000円の募金活動に臨んだ。しかしながら通常のやり方ではすぐに行き詰ってしまった。その後再三の協議を重ね、苦肉の策として打ち出したのが「お布施作戦」である。安岡地区にはお寺が多いことから、「お布施」として企業・諸団体及び新駅周辺各企業などへ目標額を設定し募金を求めたのである。


するとこの作戦は成功し、次々に協力者が現れ、中には大口のご寄付を頂いた団体もあった。その吉報を聞いた関係者は皆力を得て足取りも軽くなったのである。そして活動にもしだいに弾みが付いたことで、安岡地区の募金は目標額を大きく上回り、開業に向けて目途が付いたのである。


新駅名称の協議にも!安岡側は旧駅復活の要望書の趣旨から「新かじくり駅」「新梶栗駅」の2点と、川中側から行政区域内の新駅建設と郷台地遺跡の観点から「郷台地駅」「弥生の里駅」の計4点の家が提出され、関係者から強い口調で様々な意見が出され、長時間の協議の末それぞれの思いがまとまり「梶薬郷台地駅」で行くことで了承が得られた。その後、新駅期成同盟会の総会で可決され、JRでダイヤ改正の準備がなされた。奥菜朝には、安岡の関連した会議で関係者からの提言があり「新駅竣功記念石碑の設置と除幕式の開催」及び「梶栗郷台地駅開業視賀会」の開催などが求められ慌ただしい日々を送った。


桜花の開花を前にして、心地よい快晴に恵まれた平成21年3月35日「梶来郷合地駅」の開業の日を迎え、JR西日本・下関市関係者・建設関係者など本勢が集事、新駅を様目に念願の開業式と愛功記念神除幕式が執り行われた。参列者は皆素敵な笑顔で新駅への列車の到着を待った。そして新駅に列車が停止すると「わぁ!」っと大きな歓声で喜びに沸きあがった。手定していた記念撮影などを済ませ祝賀会場に向かった。会場には250名を上回る出席者があり連会長の主青本が雑もる六感無量となって涙する者もおり、今までの苦労がほんとうに報われた思いであった。祝賀会の製理も婦金の協力を仰ぎ、葱めた・煮しめ・大根なます。ほうれん草の胡麻和えなどに舌鼓を打った。祝宴は大いに盛り上がり、出席者の心に残る安岡らしい祝賀会となった。安岡地区の課題に対し関係各位のご協力などに改めて感謝をしたい。


(カタローテ安岡、第82号 令和5年6月、安岡地区まちづくり協議会)