街道松、下関市豊浦町川棚(昭和52年) | 日本の歴史と日本人のルーツ

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街道松(豊浦町川棚·昭和52年)

かつて川棚の小串境から山田の集落に至る区間には、およそ30本の街道松の大樹があり、昭和51年に町指定の天然記念物に指定された。しかし、同57年にはすべて枯死し、今やその切り株が当時をわずかに偲ばせる。

(下関・豊浦の100年より)(彦島のけしきより)


参考

① 唯一の松並木

山口県済生会豊浦病院の南側


② 小串稲荷から長浜松谷浦を望む(豊浦町川棚 ·昭和25年)、、、済生会豊浦病院あたりの西側海岸


小串から川棚松谷浦にかけて続く浜松林は、魚付林あるいは防潮林の役目を果たしていた。また季節には松露やボウフゥ(セリ科)が近隣の住人の食卓をにぎわせた。

(下関・豊浦の100年より)(彦島のけしきより)