伊崎の漁舟、下関市伊崎町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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伊崎の漁舟


伊崎は今でも漁師の町でもあるが、昔はもっと栄えていた。


大正のはじめころ唄われていた「町づくし」によると「細江にステンショ九州連絡船、時間が早けりゃ山陽ホテルで二皿三皿、西の遊女は豊前田町、茶山口、長門町、竹崎の踏切りゃ今浦長崎、新地厳島は招魂場、伊崎かまの浦、小門の夜たきで夜あかしし朝の景色で又飲める。これが馬関の町づくし」


(写真集 明治大正昭和 下関より)(彦島のけしきより)



参考


伊崎漁港、下関市伊崎町1丁目6



伊崎町の歴史



王城山趾