四つ空気窓の馬関駅から二つ窓の旧下関駅と蘇鉄 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。


馬関駅(明治34年)


(下関懐古写真帖 「関の廓」盛衰史 澤忠宏著より)




旧下関駅(大正13年)


(目で見る下関・豊浦の100年より)




新装なれる駅前広場の盛観


駅の写真を並べたが、はじめの二枚は屋根の空気窓がたくさんあるがあとの二枚は二つしかない。それに右側に山陽ホテルがみえるが、はじめの二枚は木造であり、あとの二枚は鉄筋コンクリートである。


明治三九年一二月一日山陽線が国有となって、貨客の動きはますます大きくなった。


一番手前に見える蘇鉄は現在竹崎町の駅前にある。


(写真集 明治大正昭和 下関より)



日本の玄関駅前広場(下関警察署前に蘇鉄)


この写真には昭和一一年五月一六日下関要塞司令部許可済と小さく押してあるのがよくわかる。


明治四五年六月一六日からはとくに下関、東京間に特別急行列車が運転されますます最要衝地としてクローズアップされた。


大正に入ってから七年七月二六日下関駅構内で火薬爆発するという大ニュースがあった。


(写真集 明治大正昭和 下関より)



昭和35年の下関駅


旧下関駅から移植された蘇鉄が見える。


(下関なつかしの写真集より)



下関駅前広場(昭和五十年代)


昭和四十六年二月、路面電車が廃止されたのちの駅前広場。正面の山口銀行の本店の手前に専門大店が見える。


旧下関駅から移植された蘇鉄が眼前に見える。


(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


(彦島のけしきより)



旧下関駅の蘇鉄の現在


蘇鉄の位置



参考