三百目「さんびゃくめ」橋の由来 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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1月CCT歴史&ウォークは岬之町の江戸期の古道を歩きます。


岬之町「はなのちょう」の地名はかつてこの地は海に突き出た王子の鼻と呼ばれる岬でした。この鼻の岬が転じて岬之町と呼ばれるようになりました。江戸期南部町から細江に抜ける道は2つ。


岬之町に残る馬蹄形の不思議な道と藪の内を通る近道2つの道です。この道に遺る史跡を訪ねます。


三百目「さんびゃくめ」橋の由来


岬之町と観音崎町との境界はかつて谷川が流れ苦労していました。江戸期油屋仁左衛門が長府藩に三百匁寄進し橋を架けました。その橋は三百目橋と呼ばれました。また明治時代には名池方面に登る坂道は「三百目通り」とも呼ばれていました。


江戸期の絵図と古地図をもとに確認しながら当時の赤間関を偲びたいと思います。1月27日、コロナ感染症が拡大しているなか当日実施できることを望みます。