山口県の伝説、その10 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

鶴柿 鶴の恩返し

むかし、むかし、ある日のこと、鶴の親子が八代(やしろ)の里を空高く飛んでおりました。八代の里は柿の木がおおいところ。たわわに実ったおいしそうな柿の実をみて、子鶴は、たべたいとほしがりました。

けれども鶴は木の枝にとまることができません。どうやって、もいだらいいだろうと、親鶴は柿の木をぐるりぐるりと飛んでおりました。そこへ一羽のからすが飛んできて、うれた柿をおいしそうにたべはじめました。

これをみて親鶴は柿の木の下へ降りて行き「からすさん、わたしたちにも一つうれた柿をもいでおくれでないかね」と、たのみました。からすは「もいでやってもええがの、お前さんはきりょうよしじゃ、よううれた柿じゃ着物がよごれるじゃろうから、まぁこれがよかろうて」といって、まだかたい柿の実を鶴になげました。

「からすさん、子供がほしがりますので、もっとよくうれたのをおねがいします」とまた、ていねいにたのみました。「それなりゃ、ちょっとまっちょけいや」といったきり、からすは鶴にとってやろうともせず、自分だけよくうれた柿をたべ、種やへたを下へバラバラなげすてました。

いつまでたってもとってくれそうにありませんので、鶴はまたたのみました。すると、からすは腹をたてて「そんなら、お前さんがのぼってすきなものをもぎんされ」といったかと思うと、かたい柿の実を鶴にむかって投げつけました。

これを、じっとみていたお百姓さんは、ぬけぬけと柿をたべているからすを追いはらい、よくうれた柿を鶴にとってやりました。鶴の親子はよろこんですっかりたべるとグルーガルー、グルーガルーとお礼をいいながら飛んでゆきました。

それからしばらくたった、ある寒い日のこと、このお百姓さんの家に大そうどうがおこりました。お百姓さんの子供が干柿をたべていて、柿の種をのどにつめてしまったのです。

すると、いつぞやの鶴が、お百姓さんのあわてたすがたをみて、わけをきくなり「わたしがおたすけしましょう」と お百姓さんの家へ飛んで行きました。そして鶴は、苦しんでいる子どもの口を開けさせると、その長いくちばしでなんなく柿の種をついばみ出してしまいました。

お百姓さん夫婦は大喜びで鶴にお礼をいい「八代の柿ぁ うまいんじゃが、種が多くてしょうがない。種さえなけりゃ、八代の柿は周防一じゃが」といいました。これからです。八代の柿は干柿にすると、どうしたわけか種がすっかりなくなってしまい、子どもが種をのどにつめる心配がなくなった、ということです。

こうして八代では、干した柿を干柿ともつるし柿ともいわず、鶴の恩返しと考えて、鶴柿(つるがき)というようになったそうです。

(熊毛郡)

(山口銀行編纂 山口むかし話より転載)


白い福ネズミ

むかしむかし、ある村に、働き者のおじいさんが住んでいました。毎日毎日、一生懸命働いているのですが、暮らしはちっとも良くなりません。そんなある年の一月二日、おじいさんは不思議な初夢をみたのです。

まぶしいお日さまの光の中から、杖をついたおじいさんが現れて、「わしは神さまの使いじゃ。お前さんは実によく働いておる。だが、このままでは駄目じゃ。というのも、お前は食べ残しの野菜の切れはしなどを、台所の流しへ捨てたままにしておる。それがつまって、実に汚い。ドブをきれいに掃除してみよ。さすれば、良い事がおこるであろう」神さまのお使いはそう言って、消えてしまいました。

目を覚ましたおじいさんは、さっそく台所の流しやドブをきれいにしはじめました。すると、一匹のネズミが出てきました。よく太った、まっ黒なネズミです。ネズミは家の中に入り込むと、奥の部屋の神棚へと飛びあがりました。そして供えてあるお餅の裏に逃げこむと、しばらくしてお餅と同じようなまっ白い姿になって、顔を出しました。

その日から畑へ行くと、白ネズミはあとからついてきて、小さな手で畑の土を掘り返したりして手伝ってくれます。おかげでおじいさんの仕事がはかどり、少しずつですが、お金もたまるようになって、暮らしも豊かになっていきました。

さて、それをうらやましく見ていたのが、となりのおじいさんです。となりのおじいさんは白ネズミを借りてくると、お餅をまき散らしたとなりの部屋に入れました。そして夜になるとふとんに入り、ふすまのすきまから様子を見ていました。

カリカリお餅をかじっていた白ネズミは、夜になるとたくさんの糞をしましたが、気のせいか、その糞が白くかがやいているように見えました。「そうか。あのネズミは餅を食って、銀の糞をするんだ。これでおらも大金持ちじゃ」

次の日の朝、目を覚ましてとなりの部屋をのぞくと、足の踏み場もないほど、たくさんの白ネズミがはいずりまわっていました。「おう、たくさんの仲間をつれてきたな。ありがとうよ。もっともっと、銀の糞をしてくれよ」

欲深じいさんはニコニコしながら、一匹の白ネズミの頭をなでました。するとネズミは「チュー」と鳴いて、たちまち、まっ黒なドブネズミになってしまったのです。「ややっ、これはどうしたことじゃ!」

ほかのネズミを捕まえると、みんな同じように「チュー」と鳴いて、ドブネズミに変わってしまいました。そして光っていた銀の糞も、まっ黒な本物の糞になって、欲深じいさんの家の中は糞だらけになってしまったと言う事です。

(山口県の民話 福娘童話集より)


カッパと寿円禅寺(じゅえんぜんじ)

むかしむかし、ひどい日照りが続いて、田んぼも畑も枯れ果ててしまいました。こまったのは、人間だけではありません。竜が淵(りゅうがふち)に住んでいたカッパも、日照りで魚が死にたえてしまったので食べる物がありません。空腹にたえきれなくなったカッパは、悪いとは思いつつ、近くの自住禅寺(じしゅうせんじ)の放生池(ほうしょういけ)のコイを一匹、食べてしまいました。

この頃、近くの鐘乳洞(しょうにゅうどう)に自住禅寺の寿円禅師(じゅえんぜんじ)が入って、苦しむ百姓(ひゃくしょう)たちを救うために雨乞い(あまごい)のお祈りをはじめていました。これを見たカッパは、「わしが池のコイを食べたので、のろい殺そうというのじゃな」と、勘違いして、あれこれとお祈りのじゃまを始めました。

しかし禅師(ぜんじ)は気にもとめず、一心にお祈りを続けました。「この坊さん、他人のためにここまでするとは」心をうたれたカッパはいつしか禅師の弟子となり、禅師のお手伝いをするようになりました。そしていよいよ満願(まんがん)の朝、禅師の祈りが天に通じたのか、どこからともなく黒雲が姿を現して、雷をともなう大雨となったのです。

「御仏(みほとけ)は、わたしの願いをお聞きくだされた!」禅師は、よろめく足で鍾乳洞から出て行きました。弟子となったカッパも、「これで、わしの罪(つみ)もゆるされよう」と、禅師に続いて出てみると、禅師が竜が淵の一枚岩(いちまいいわ)の上に立っていたのです。実は雨乞いの願いがかなえられた禅師は、そのお礼に自分の命を天にささげようとしたのです。(あぶない!)

カッパは駆け出しましたが、禅師はそのまま淵に身を投げてしまいました。カッパは禅師をお助けしようと淵に飛び込みましたが、さすがのカッパも大雨の濁流(だくりゅう)ではうまく泳げません。カッパは濁流にのみこまれながらも、禅師を助けようとがんばりました。岩肌に体をぶつけ、大切な頭の皿も割れてしまいましたが、カッパは最後の力をふりしぼって禅師の体を何とか川岸に引き上げました。

「禅師さま! 禅師さま、ご無事ですか!」しかしすでに、禅師は息絶えていました。「そんな・・・」そしてカッパも力つきて、そのまま川下に流されてしまいました。やがてこの事を知った村人たちは、禅師の遺体(いたい)を荼毘(たび)にふすと共に、このけなげなカッパを『禅師河童(ぜんじかっぱ)』とたたえて、手厚(てあつ)くとむらったそうです。

おしまい

(山口県の民話)


陶ヶ岳の観音様 ~山口市~

山口市南部の陶、鋳銭司、名田島のさかいに、陶ヶ岳という山がある。この山には、切り立った岩場があって、今では山口県山岳会の岩登りの練習地として有名である。その大岩の東北がわに大きなほらあながあって、そこの観音様のお堂がある。

むかしむかし、ある村人が、この山からふしぎな光が出ているのを見つけ、村中が大さわぎになった。そこで、こわいもの知らずの若者がその光の出場所をさがしに山に登った。あるほらあなに入ってみると、そこに一体の観音様があり、その両眼が金でできていて、それから光が出ていた。村人たちは、そこのお堂を建て、観音様をだいじにおまつりした。

ある晩、ぬす人がほらあなに入り、観音様の片ほうの目をえぐり取ってにげようとした。すると、観音様が残った片目をしずかにあけて、「そんなに貧乏してこまっているのなら、両眼をやるから取っていけ。」と言われた。さすがのぬす人も、おどろきあわてて、にげてしまったということである。

このなさけ深い観音様の話がつたわると、「陶ヶ岳の観音様」といって、村人たちはいっそうだいじにしたという。

題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

(彦島のけしきより)