山口県の伝説、その7 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

白狐の湯(びゃっこのゆ)

毎年五月になると、湯田(ゆだ 山口市湯田)で、温泉祭りが行われる。このまつりには、「白狐おどり」など、白狐にまつわるもよおしがさかんに行われる。この話は、湯田温泉のおこりとして、いまに語りつがれるふしぎな話である。

今から五百年ほどむかしのことである。湯田の近くに、権現山(ごんげんやま)とよばれる小さな山があった。そのふもとに、ふかい木立(こだち)にかこまれた古いお寺があった。

ある春の夜のことである。だん家の法事にまねかれたおしょうさんは、ついつい引きとめられて帰りがおそくなった。その家を出たのは、だいぶ夜もふけたころであった。ほろようかげんのいい気持ちであった。

あぜ道を通りすぎ、寺の境内(けいだい)にさしかかったときである。しんとしずまりかえった境内のおくから、ピチャピチャというみょうなもの音が聞こえてきた。おどろいて耳をすますと、ピチャピチャという音が、間をおいては聞こえてくる。いまごろ、なんの音じゃろう。

おしょうさんは、音のする方へ足音をしのばせていった。池のそばまできて、ふっと足をとめた。白キツネが一匹、月の光にてらされて、池に足をひたしていたのだ。その白キツネは、ときおり水をかいては休み、水をかいては休みしている。みょうなもの音は、この白キツネの水をかく音だったのだ。

なお、じっと見つめていると、人の気配(けはい)に気づいたのか、すばやく池からはい上がって、あたりをきょろきょろ見まわした。それから、後ろ足をかばうように、ぎこちない走り方で権現山のしげみの方へ消えていった。

「はて、白キツネが、なぜこんな夜ふけに池の中にはいっているのじゃろう。」おしょうさんはふしぎに思いながらも、その夜は、そのまま、寺に帰ってねてしまった。

つぎの日の夜なか、ふと目をさますと、また、あのピチャピチャという音が聞こえてきた。さてはまたあの白キツネかと、おしょうさんはそっと起き出して、月明かりの中を池にしのびよっていった。やはり、きのうの白キツネであった。

白キツネは、ひとしきり池に足をひたすと、ぎこちないあの走り方で権現山の方へさっていった。その次の晩も、またそのつぎの晩も同じようなことがくりかえされた。七日目の晩がやってきた。白キツネは、きまったように池に足をひたし、きまったように権現山へ帰っていった。

ただちがうことがひとつあった。それは、いつもと走り方がちがうことだった。つぎの日から白キツネは、姿を見せなくなった。「さてさて、みょうなことがあるもんじゃ。どうして足がよくなったのじゃろう。」おしょうさんは、ふしぎに思って池に足をひたした。

「やっ、水があたたまっておる。」池の水が、ちょうどよいあたたかさになっていた。においをかぐと、温泉のにおいがする。「これでやっとわかった。あの白キツネ、いたむ足をひたしにここへやってきていたのじゃな。」おしょうさんは、さっそく里の村の人たちにこのこを話し、池の近くをほらせてみた。

すると、思ったとおり、熱い湯がこんこんとわいてきた。「湯だあ。湯が出たぞうっ。」村人たちはよろこびの声をあげた。ほりすすめる手にいっそう熱がこもった。なおふかくほりさげていくと、くわの先に固いものがあたった。

ていねいに掘りだすと、どろまみれの仏像であった。おしょうさんが、池の湯でていねいにどろをおとすと、みごとな黄金の薬師如来(やくしにょらい)の像があらわれた。村人たちはひざまずいて、薬師如来像をふしおがんだ。

その後、薬師如来像は、温泉の守り本尊として、池のほとりにたてられた堂におさめられた。この仏像をおがんで湯に入ると、どんな難病もたちどころになおるといわれ、湯に入りにくる人が後をたたなかったという。

その後、だれいうとなく、「白狐の湯(びゃっこのゆ)」とよばれるようになり、いまに語りつがれている。

題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部


まだわからん

むかしむかし、何日も何日も日照りの続いた年がありました。

「せっかく蕎麦(そば)をまいたばかりなのに、このままでは蕎麦が全滅してしまうぞ」お百姓はそう言いましたが、何日かたって孫が畑へ行ってみると、少しも雨が降っていないのに蕎麦が青々と生えていたのです。

「じいちゃん! じいちゃん! 蕎麦が生えているぞ!」それを聞いたお百姓も、大喜びです。「そうか、そうか。蕎麦は少々の日照りでも生えると言うが、今年の様なひどい日照り続きでも生えてきたか。だが、蕎麦の花が咲いて、蕎麦の実を実らせるまでは安心は出来んぞ」

するとそれから何日かたって孫が畑へ行ったら、蕎麦が大きくなって花を咲かせていたのです。「じいちゃん! じいちゃん! 畑一面に蕎麦の花がまっ白に咲いているぞ。これで蕎麦が食えるな」「いいや、まだまだ。ちゃんと実るまではわからんて」

それからまた何日かたって、再び畑へ行った孫が言いました。「じいちゃん! じいちゃん!蕎麦に、まっ黒い三角の実がいっぱい実っているぞ。これで間違いなしに、蕎麦は食えるな」しかしお百姓は、首を横に振って、「いいや、物事は最後の最後までわからんぞ」と、言うので、孫はお百姓をせかして言いました。

「それじゃあ、今から蕎麦刈りをしよう」そこで二人は蕎麦を刈って、刈った蕎麦を干して、それから家へ持って帰って叩いて蕎麦の実を取り出しました。「じいちゃん! じいちゃん! これでもう蕎麦が食えるな」孫がそう言いましたが、お百姓はやはり首を横に振って、「いいや、まだわからんぞ」と、言うのです。

そこで孫は蕎麦を臼(うす)にかけて粉をひいて、その粉に少しずつ水を入れてこねると板状にして包丁で細長く切りました。そして熱々のお湯で蒸すと、いよいよ蕎麦の完成です。すると孫が、お百姓にニンマリと笑って、「じいちゃん! じいちゃん! これでいよいよ蕎麦が食えるな。

なんぼ、じいちゃんでも、ここまでくれば、『いいや、まだわからんぞ』とは、言わんだろう」と、言いました。ところがお百姓は、「いいや、まだわからんぞ。口に入るまではな」と、言うのです。

すると孫は、ケラケラと笑って、「いくら何でも、そこまで心配する事は」と、その蕎麦をそばつゆにもつけずに、口の中にかきこもうとしましたが、「あっ!」と、孫はうっかり手を滑らせて、蕎麦をざるごと目の前の囲炉裏の灰にぶちまけてしまったのです。

するとお百姓は、「それ見ろ、だからわしは、物事は最後の最後までわからんと言っただろう」と、笑いながら言って、はんべそをかく孫に自分の分の蕎麦を食べさせてやったと言うことです。

(山口県の民話 福娘童話集より)


夫婦

むかしむかし、言い伝えによると人間は、夫婦が背中合わせにくっついて生まれてきたそうです。

ある日の事、大勢の人間たちが集まって、神さまにお願いしました。「神さま。わたしたち夫婦は、背中と背中とがくっついているので、夫婦でありながら女房や夫の顔を見る事が出来ません。どうか自分の女房や夫の顔が見られるように、背中を割っていただきたいのです」

すると神さまは、「なるほど、それは、もっともな事じゃ」と、夫婦のくっついた背中を割ってくれたのです。こうして夫婦の背中が一斉に割れたのですが、普段から顔を見ていない二人ですから、一度見失うと誰と誰が夫婦だったのか、分からなくなってしまいました。

そこで人間たちは困ってしまい、また神さまにお願いしました。「願い通り、背中を割ってもらいましたが、今度は誰が夫婦の片割れであったのか、見分けがつかなくなりました。何とかして下さい」

すると神さまは、「それでは、お前たちに愛という力を与えてやろう。外見や目先の利益にこだわらずに、その愛を信じて相手を探せば、必ずや、夫婦として生まれた片割れを見つける事が出来るであろう」と、人間に愛という力を授けてくれたのです。

人間は、時には外見、時にはお金や地位などの利益に目がくらんで、愛という神さまから頂いた力を使わずに夫婦となる人がいますが、それでは末永い幸せを手にする事は出来ません。

外見や利益に惑わされず、愛という力を信じて夫婦として生まれた片割れを見つければ、必ずその二人は、末永い幸せを手に入れることが出来るでしょう。

おしまい

(山口県の民話)


狐をだました話

むかし、むかし、うららかな春の日のことです。太吉という若者が、一生懸命に畑を耕しておりました。そろそろ昼飯にしようと、木にかけておいた弁当をとりに行くと、どうしたわけか弁当が見当たりません。

次の日も、またその次の日も弁当がなくなるので、不思議に思った太吉が、狸寝入りをしながら草むらから様子をうかがってみると、ひょっこりあらわれた一匹の狐が、器用に弁当をとって行きました。

「ははん、狐がいたずらしちょったんか」と、うす目をあけて、また様子をうかがっていると、そこへ一匹の狸がやってきました。「狐さん、わしにも少々わけてくれんかいや」と、狸がいうと、狐は「わけてやってもええがの。それより、わしと一緒に、明日、村の馬市でひともうけせんかいの」と、いいました。

「どんなことかいや」と、狸がたずねると、狐は得意げに話しはじめました。「わしが馬に化けるから、お前さんは、それそこに寝ちょる太吉どんにばけて、明日の馬市に馬を売りに行くんじゃ。」

狐と狸は、太吉がこの話を聞いているとも知らず、たがいにうなずき合いながら山へ入って行きました。太吉は、こっそりその後についていき、狐と狸が住んでいる穴を確かめると、一人ほくそ笑いをしながら家へ帰って行きました。

あくる日の朝、太吉はまっすぐに狸の穴に行き、大きな石で穴をふさいで、出られないようにしました。そして、つぎに狐の穴へ行くと「おいおい、狐さん、早く馬市へ出かけよう」と、狸のふりをして声をかけました。

穴から出てきた狐は、太吉をみると「うまく化けたもんじゃわい」と、感心し、自分もさっそく見事な仔馬に化けました。「それじゃ出かけよう」と、太吉は何くわぬ顔で、狐が化けた仔馬をひいて、馬市に出かけました。

たくさんの馬飼いたちが仔馬に値をつける中、太吉は「ええ馬じゃが、こいつは気が荒い馬での、こうして後ろ足をしばっちょかんとあぶないんじゃ」と、仔馬をぎゅうぎゅう荒縄でがんじがらめにしばりました。

そのうちに一人の馬飼いが七両の値をつけたので、太吉は喜んで仔馬を渡すと、さっさと帰ってしまいました。狐も逃げようとしましたが、しばられているので動けません。そうこうしているうちに苦しくなって、ヒヒンと鳴くのを、うっかりコンコンと鳴いてしまい、とうとう、馬飼いたちにばれてしまいました。

「こりゃあ、狐じゃわい」と腹をたてた馬飼いたちに狐は驚いて「お助けください」と、ひらあやまりにあやまりました。すると、太吉から仔馬を買った馬飼いが「さっきの七両を太吉からとりもどすまでは、ゆるされんわい」といいました。

これを聞いて狐はいっそう驚き「ひゃあ、あれは太吉どんじゃなく、わたしの仲間の狸が化けたもんです。お金は必ずとりもどしますけえ、お助けください」と、泣いてあやまりました。

これを聞いた馬飼いたちは「太吉どんに迷惑のかかるところじゃった」と、あっけにとられてしまいました。こうして太吉は、まんまと大金をもうけ、狐に仕返しをすることができた、ということです。

(都濃・佐波郡)

(山口銀行編纂 山口むかし話より転載)


大つごもり長者

むかし、むかし、ある山里に、たいへん情け深いおじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。ある年の暮れのこと、お正月のおもちを買うために、二人は雪よけ笠をつくって町で売ることにしました。

しかし、まだ十二しかできないうちに、大つごもりになりました。もうあすはお正月です。おじいさんは、できたての笠をもって、雪の山道をくだって町の方へ出かけました。

その途中のことです。石の地蔵様が頭から雪をかぶって、寒そうに立っておられました。おじいさんは気の毒に思い、地蔵様の頭や肩の雪をはらって、持っていた笠を一つ、かぶせてあげました。

それから少し行ったところに、またお地蔵様が寒そうに立っておられました。おじいさんは、また一つ笠をかぶせてあげました。「あと十も残っているから、まあええ」と思いながらまた、歩きはじめました。

こうしてとうとうおじいさんは、持っていた十二の笠を、みんな途中に立っていた地蔵様にかぶせてあげました。そして売る笠がなくなったおじいさんは、町へ行くのをやめて、家に帰ることにしました。

その帰り道のことです。雪の降る中を笠もかぶらずに、ひょろひょろと今にも倒れそうな、とても気の毒なおばあさんに出会いました。情け深いおじいさんは、おばあさんに「もしもし、どうなされたかや」と、声をかけました。

すると、そのおばあさんは、きのうから何も食べていないと答えました。おじいさんは気の毒に思い、自分の弁当とかぶっていた笠をおばあさんに渡しました。

すると、おばあさんは、一つの小さな袋を取り出し、「これは宝袋という不思議な袋じゃそうです。お礼にどうぞうけてくだされませや」と、おじいさんに渡しました。おじいさんは不思議に思いながらも、家へ帰りました。

その夜明けのこと、「えいやさあ、よーいやさあ」という掛け声に、どさりと何やら物音がしました。おじいさんとおばあさんが、そっと戸を開けてみると、つきたてのおもちがたくさん置いてありました。二人は驚いて向こうを見ると、笠をかぶった十二人の地蔵様たちが帰って行くところでした。

「ありがたや」と二人がふしおがんでいると、おじいさんのふところから、ぽろりと、気の毒なおばあさんにもらった宝袋が落ちました。おじいさんが開けてみると、小判が一枚はいっていました。不思議に思って、もう一度開けてみると、二枚、四枚と、開けるたびに小判はどんどん増えていきます。

次の日の朝、二人は、気の毒なおばあさんに小判を返そうと探しましたが、どこにも見当たりません。おじいさんとおばあさんは「これも神様がおさずけくださったのじゃろう」と、大喜びし、たちまち大金持ちとなって幸せに暮らしたということです。

(阿武郡)

(山口銀行編纂 山口むかし話より転載)


紙すき毛すき

むかしむかし、周防や長門(すうお・ながと→山口県)の農家では、楮(こうぞ)と言う植物で紙をすいて、それを米の代わりに年貢として納めていたそうです。ある山里(やまざと)に弥兵衛(やへえ)という若い百姓がいて、とても美しい女房と二人で紙をすきながら暮らしていました。

その頃、代官所(だいかんしょ)には勘場(かんば)といわれる所があって、そこに年貢などの検査する役人がいたのですが、その役人が弥兵衛の美しい女房に心を奪われて、毎日の様に弥兵衛の家へ来る様になったのです。もちろん役人の目当ては弥兵衛の美しい女房でしたが、実は他にもう一つの目的がありました。

その目的とは、「やれやれ、毎日の様に通ってやっているのに、今日も茶と茶菓子だけか。他の者なら、わしがこれだけ訪れれば、『どうぞ、これをお納め下さい』と、いくらか金を包んで渡してくれるものじゃが。・・・弥兵衛の礼儀知らずめ、今に見ておれよ」と、賄賂(わいろ)の要求だったのです。

そんなある日、勘場から弥兵衛に呼び出しがありました。「はて? 何事だろう」弥兵衛が勘場に行くと、代官が怖い顔で納めた紙を突き返したのです。「この頃、お前が納める紙は、どうしようもなく質が悪い。すぐに納めなおせ」

「はて、そんなはずは?」弥兵衛がその紙を見ると、それは自分が納めた紙とは全く別の、とても質の悪い紙だったのです。(どうして、こんな事に?) 弥兵衛は首を傾げましたが、ここで言い訳をしても信じてもらえそうにないので、「わかりました。すぐに代わりを、持って来ます」と、新しい紙を納めなおしました。

するとまた、弥兵衛は勘場から呼び出されたのです。「弥兵衛! 前にも増して、質の悪い紙を納めるとは何事だ!」そう言って突き返されたその紙も、自分が納めた紙ではありませんでした。

そこで弥兵衛は、代官に言いました。「お代官さま。おそれながら、申し上げます。この紙は、わたしがお納めしました紙ではございません」「言い訳をするな! 見苦しいぞ!」「・・・・・・」こんな事が、それから何度も繰り返されました。

ある日、代官が弥兵衛にたずねました。「お前は毎度毎度、納めた物と違うと言うが、何か証拠でもあるのか? 証拠でもあれば、わしも何とか出来るのだが」

「証拠ですか」するとその時、弥兵衛に一つの名案が浮かんだのです。弥兵衛は自分の髪の毛を切って、それを紙のすみに一本ずつすき込み、自分の紙の目印としたのです。

そしてまた、弥兵衛は自分の物とは違う質の悪い紙を突き返されたので、代官に言いました。「お代官さま、おそれながら、これはわたしがお納めしました紙ではございません。わたしがお納めしました物には、確かな目印がありますので」

「目印とな?」「はい、わたしの紙のすみには、わたしの物である確かなあかしに、わたしの髪の毛を短かく切った物を一本ずつすき込んであります。どうか、お調べ下さい」「わかった。待っておれ」

そこで代官が家来に命じて調べさせると、確かに髪の毛をすき込んでいる紙がありました。しかもそれは、一番出来が良いと評価された紙だったのです。この時、代官は、これが全て勘場の役人の仕業であると気づきました。しかしそれを認めてしまったら、代官所の信用が落ちる事になります。

そこで代官は、口封じにこう言ったのです。「その方、御上納(ごじょうのう)の紙に、けがらわしい髪の毛をすき込むなど、まことにふとどきな奴じゃ!すぐに引き立てい!」そして弥兵衛は女房に会う事も許されないまま、次の日の朝早くに首を斬られてしまったのです。

その後、代官が調べてみると、弥兵衛の家に毎日訪れていた役人が、賄賂を出さない弥兵衛をおとしいれようとして、弥兵衛の納めた紙を別の悪い紙とすり替えていた事がわかりました。

そしてその役人は弥兵衛が首を斬られたその日から謎の熱病にかかり、髪の毛をかきむしりながら苦しみ続けて、数日前に死んでいたという事です。

(山口県の民話 福娘童話集より)

(彦島のけしきより)


参考

徳地和紙