アメリカが記録した山口県の空襲、周防大島空襲 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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(アメリカが記録した山口県の空襲)



7月24日には山口県東部の周防大島も艦載機による空襲を受けた。岩国や防府の飛行場のように、艦載機の第1目標になるような基地や施設はなかったが、周防大島の独特の地形から、岩国飛行場や呉軍港空襲の際の帰還時の再集結点に指定されていたことが、周防大島に対して少数機による空襲が行われた大きな理由である。

空母ベニントン艦載機の戦闘報告書によれば、7月24日2回目の打撃戦の目標は、呉軍港の艦船で、戦闘機部隊 (VF-1) は爆撃機や雷撃機の護衛任務とともに、自らも1000~爆弾を搭載して攻撃に加わったり、呉で爆弾を投下したのち、2機の戦闘機 (F6F-5) が、屋代島(周防大島のこと)のKUGAにある大きな建物に対して12.7mm 弾600発を機銃掃射した。

KUGAはおそらく久賀のことで、実際は地理的に近い安下庄のことを指すものと思われる。攻撃を受けたのは安下庄中学校(現在の周防大島高校)本館で、職員室や校長室の被害が大きかったが死傷者は出なかった。

ベニントンの報告書には呉の艦船を攻撃した時刻が 16時30分、安下庄中学校では機銃掃射を受けた時刻が午後5時頃と記録されている。

(アメリカが記録した山口県の空襲)

(彦島のけしきより)

赤: 周防大島
黄丸: 岩国
青丸: 呉