サンデン電車が開通した頃、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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壇之浦(昭和初期)

壇之浦の家並みと路面電車の線路がある。大正十五年二月から、長府松原-壇之浦間を運転した電車は、このあたりが発着点であった。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


電車運送(大正十五年) 

長府松原-壇之浦間に電車が走ることになり、購入された電車は、長府駅から大型の牛車に乗せて、松原(現豊浦高校あたり)まで三日がかりで運ばれた。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


路面電車開通式(昭和三年) 

壇之浦-長府松原間の路線が鳥居前(現城下町長府バス停)まで延長され、そのときの開通式。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


ご大典記念の花電車(昭和三年) 

昭和天皇即位のご大典記念で、路面電車も花飾りなどで祝った。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


赤間神宮前あたり(昭和十年ころ) 

右の電車開通が昭和七年であるから、それ以後の街並みであろう。現在の国道九号。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


(彦島のけしきより)