お田植祭(五月第三日曜日·住吉神社)
八乙女が田植えをし、周囲のあぜ道で早乙女が田植舞を舞う。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
お田植祭(昭和十五年)
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
平家ひな流し(三月上旬の日曜日·赤間神宮)
拝殿内の水庭に杯を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠む。紙製のひな人形はお祓いののち、海峡の潮に流される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
真木祭(二月十四日·紅石山)
勤皇の志士久留米藩士真木菊四郎が、慶応元年(一八六五)岬之町で暗殺された。この日を命日に供養が催される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
節分の豆まき神事(二月三日·亀山八幡宮)
社殿では「鬼やらひ」の行事で、豆を撒き鬼を追い払う「鬼の舞」があり、当夜は参拝者で賑わう。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
亀山能
神事能として奉納される。戦後一時中断していたが、平成元年から復活し、毎年行われている。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
亀山能翁渡し(十月中旬·亀山八幡宮)
長府藩初代藩主毛利秀元が、翁面を寄進したことにはじまる。神前で翁の面が本能初番の能士に渡される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
夏越祭(七月三十日·亀山八幡宮)
社殿前に"茅の輪"が設けられ、輪をくぐると、夏を元気に過ごすことができるという。夜は花火大会や福引などが行われる。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
幽霊祭(七月十七日,永福寺)
幽霊の絵は、両親の不和を悩んで死んでいった娘を、住職が描いたという。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
井田のノボリ舞い(五月二十五日.来福寺·菅原神社)
来福寺から菅原神社へ道行きののち、太鼓や鉦の音に合わせてノボリ舞いが奉納される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
数方庭祭(八月七十三日,忌宮神社)
仲哀天皇·神功皇后の伝説に由来する。神社近くの町内毎に、男は幟、女は切籠を捧げ鉦に合わせて鬼石を回る。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
網曳祭(八月最初の土曜日·中山神社)
祭神の中山忠光が、魚を好まれたという故事に由来する。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
賀茂島御神幸祭(十月三日,龍王神社)
吉見の龍王神社で十年に一度行われる式年大祭。大幟や槍持ち、稚児行列のほか、加茂島まで海上渡御が行われる。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210311/10/shimonose9m/ba/0c/j/o0500040614908597254.jpg?caw=800)
うに供養(十月中旬赤間神宮)
昭和三十四年からはじまる。うにの名産地として知られる下関特有の行事。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210311/10/shimonose9m/9d/25/j/o0500033814908595923.jpg?caw=800)
さかな祭(十一月二十三日)
さかなのまち下関のアピールと、漁業振興の目的から、昭和五十八年に始まった。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
亥の子まつり(11月中旬.王喜中原)
五、六歳から十五歳までの男子が、石をつけた綱を引き、土をつく。周囲の家々をめぐって家内安全などを祈る。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
風鎮祭(9月1日、2日·川北神社)
幟と籠を手に、太鼓の音に合わせて境内を回る。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
やぶさめ(十月二十日,福江八幡宮)
八歳から十二歳までの男子が、馬上から竹で作った的を射る。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
注: 左の半ズボンの男の子が私
永田神社秋季大祭(十月十日、永田神社)
大きな造花を奉持して進む「花差」行事があり、これを青年たちが差し上げて往復する力くらべが呼び物。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
さい上り神事(十月下旬の日曜日·彦島八幡宮)
彦島十二苗の総祖河野通次が、海中から御神体を引き上げた故事に由来。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
しめ縄まつり(12月10日·壇之浦)
立石稲荷神社の前にある、海中の大石にしめ縄を張り、海上安全豊漁を祈る。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
赤田代の五年神(11月·内日赤田代)
五年に一度の山の神の祭りで、十一月の初申の日に行われる。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
蓋井島山の神神事(戌と辰の年の十一月下旬,蓋井島)
一日目は四つの森から神を迎え、二日目に神と共に食事、三日目には、それぞれの森へ神を送る。
古くからの祭礼儀式が守り続けられている。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
蓋井島山の神神事
ご神籬に神をおさめ、七五ひろのしめ縄で閉じ、神事を終わる。山の神とともに祖霊も鎮まるというのであろう。
吉母沖に浮かぶ蓋井島に、古くから伝わる神事がある。この祭りは、六年に一度、戌·辰の年の十一月下旬に行われ、記録としては寛政八年からの「買物控」や、「客人控」などが残されている。
神の森は、一の山から四の山まであり、一の山は老夫、二の山は老婦、三の山は娘、四の山はそのムコとする伝承があり、山の神信仰に祖霊神仰が結びついた、原始的な農耕儀礼といわれている。各山には、祭りの世話をする当元がそれぞれ世襲されており、島の各家も各山に所属している。
神の森には枯木を組んだ円錘形の神籬があり、山の神はここに鎮まる。その周囲に「つくりもの」と称する、手作りの人形や多彩な飾りものが置かれる。神の森は国指定の重要民俗文化財で、神事記録は市の文化財指定を受けている。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
粥占神事(十一月二十三日,才川神社)
本殿横に前年埋められた、壷の粥の状況から稲作の豊凶を占う。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
先帝祭御神幸(明治末年ころ)
小門の御旅所までの御神幸。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
フク供養(四月二十九日,南風泊市場)
全国の80%が水揚げされる南風泊市場で、フクの霊を慰めるもの。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
曲水の宴(三月上旬の日曜日·東行庵)
高杉晋作生誕150年を記念し、平成元年にはじまる。梅林を流れる曲水を囲み、平安のみやびが再現される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
東行忌(四月十四日·東行庵)
慶応三年(一八六七)四月十四日に没した、高杉晋作の墓前で霊を慰める。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
忌宮神社島祭り(四月三日·満珠島)
忌宮神社の飛地境内満珠島へ、海上渡御ののち神事を行う。長く断絶していたが、昭和五十六年から復活し、毎年行われている。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
蚕種祭(三月二十八日.忌宮神社)
秦始皇帝十一代の時代、蚕の種が伝来したことを示す碑の前で、マユから糸をつむぐ実演などが催される。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
地神まつり(二月上旬·王司)
庭の隅の人が踏まない所に、ワラの円座を置き、御幣を立て、杵で地をつく。これは五穀豊穣、家内安全を願うまつり。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
庚申まつり(1月中旬,各地)
庚申塚に、共同で作った申緒を取りつけて豊作を祈るもので,農村地区で古くから行われている年頭の行事。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
(彦島のけしきより)