下関花壇
たまゆらの光の班のゆえ牡丹花も同じき色の沈黙ならず 藤棚の下に猩猩袴ひとりしづかなども萌えるる市中の園 朱き丘の牡丹畑に影ひきて立ちたる君が白き足袋はく 赤埴の上にたまれる水清くあれば覗き来少年少女 涙出でて花壇を少年去りたれど関りもなく白雲は飛ぶ
(前田)
(馬関図絵 亀山八幡宮社務所)
下関花壇(大正末年ころ)
現在の貴船町1丁目にあった。右上はつかずの灯籠で、壇之浦からここに移り、現在は日和山公園にある。
(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)
赤岸町東方金英山にある、黒石病院長山本鳳弼氏の私園であった。山本鳳弼は医者であったがなかなか趣味が広く明治四四年一月三一日市議会議長に選ばれた。
下関花壇は何といっても牡丹が中心であった。牡丹はすばらしく大きいものがあった。楢原という人が手を入れていた温室の始めであった。
(写真集 明治大正昭和 下関より)
(彦島のけしきより)
参考
黒石堂病院設立碑(参考)、、、下関花壇のあった所