吉母小学校校庭での庭球(下関市吉母·大正初明)
学校の起源は明治7年、西光寺の一室を教室にして開校した寄藻小学校である。テニスを楽しんでいるのは先生たちであろうか。混合ダブルス、何ともモダンな光景である。
(下関・豊浦の100年より)
(郵便と下関 120年のあゆみより)
吉母
三韓征伐を終えられた神功皇后さまは吉母で、応神天皇さまをお生みになりました。そのとき、浜の“藻”を“よせ”あつめて体に巻かれ、身をあたためられたというところから、“よせも”が「吉母」になったといわれています。
近くの乳母屋神社は応神天皇に乳をお飲ませした神様で、杜屋神社は天皇をお守りした神様であり、また若宮神社は、天皇をおそだてになった神様といわれています。
それから、綾羅木の浜のことを“時の浦”といっていましたが、それは皇后さまの軍隊がこの浜で“ときの声”をあげられたことからきています。
また、安岡の地名も、最初は“やすらが丘”といっていたそうです。それは皇后さまが、この地方でひと休みされたことから、やすらが丘と呼ばれ、“やすらが丘”が“安岡”と次第に変ってきたのだといわれています。
(注)下関だけでなく、山口県には神功皇后さまと地名の関係の伝説がたくさんあり、それだけでも一冊の本になるほどです。
(『下関の民話』下関教育委員会編より)
(彦島のけしきより)
参考
応神天皇は吉母で生まれた(参考)