69 篠崎小竹二行書
江戸時代後期の儒学者で頼山陽とも親交のあった篠崎小竹の二行書。小竹が西細江町の広江家を訪れた際に揮楽したものと考えられる。広江殿峯四男である広江秋水は、京坂に遊学した際、小竹と交流しており、同家の交友関係の一端をうかがうことができる。
72 田上菊舎自画賛
田上菊舎による子犬の自画賛。菊舎最晩年の作品と推定される。
73 田上菊舍著 手折菊
田上菊舎は、現在の下関市豊北町田耕に生まれた女流文人。手折菊は、菊含が文化9年(1812)に出版した作品集。第1巻には東北地方行脚時の紀行や俳句、第2卷には東海道五十三次行脚時の自画賛、第3巻には友人らとの漢詩の唱和、第4巻には茶道や琴曲に関する事柄が収められている。
89 七卿落図
西下する三篠賞美ら七卿を描いたもの。
七卿は八月十八日の政変において参内を差し止められ、同時に堺町御門の警護を解かれた長州藩士らとともに長州へ下っていった。
90 七卿和歌
元治元年(1864)11月、長府·清末藩を頼って萩藩政府と一戦を交える覚悟をした諸隊は、五卿とともに長府へ向かった。長府藩はこれを受け入れ、五卿を功山寺へ奉迎し、諸隊を城下の各寺へ分駐させた。
92 東久世通積書
七卿の1人である東久世が薩長和解に功労があった福岡藩を賞賛したもの。薩長和解は同藩士により活動がはじめられ、長府藩·岩国吉川家が窓口となって萩藩に働きかけた。また、中岡慎太郎や坂本龍馬もこの動きに加わった。
93桂小五郎書状 時田少輔宛
慶応元年(1865) 閏5月、長府藩士時田少輔が坂本龍馬の来関を桂へ知らせた書状への返書。同月6日には下関で桂と龍馬が会談した。薩長和解へ向けた活動が進められる様子が伝わる。
(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)