坂本龍馬と下関の彼の遺品 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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113 坂本龍馬写真

天保6年(1835)、土佐に生まれた坂本龍馬は、江戸、京都、長崎、そして下関などを舞台に活動した。この写真は、慶応年間に、長崎にあった上野彦馬の写真館で撮影したものと伝わる。


114 坂本龍馬筆 新政府網領八策

慶応3年(1867) 10月の大政奉還後、龍馬が今後樹立されるべき新政府の政体案を提示したもの。人材登用、外交 議会制度,軍制など新政府の基本的要素が記されている。


115 坂本龍馬所用 飯碗·湯呑

龍馬が使用し、後に長府藩士印藤車に贈られたと伝わるもの。飯碗は亀山焼で、焼継による修復の跡がある。湯呑は伊方里焼と推定されている。


116坂本龍馬便謡

慶応3年(1867)2月 以降、龍馬が赤間関の伊藤九三邸で妻のお龍と暮らしていた頃の作。稲荷町の遊郭から朝帰りしたことを責められた龍馬であったが、お龍への想いにユーモアを込めたこの歌でお龍も機嫌を直したという。


117 坂本龍馬(左)·中岡慎太郎(右) 詩歌短冊

龍馬と慎太郎が詩歌を記した短冊で、三吉家に伝わったもの。

(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)