三恵寺、下関市豊浦町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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三恵寺(下関市豊浦町·昭和初期) 

川棚温泉近くの閑静な山中に位置する三恵寺は、川棚温泉を発見したとされる怡雲和尚によって中興された古刹である。観音菩薩の御利益を願い、多くの湯治客が参拝したという。

(保存版「ふるさと下関」より)(彦島のけしきより)


参考

① 三恵寺の現在

三恵寺本堂

三恵寺 下関市豊浦町大字川棚5000

三恵寺入口

三恵寺入口


② 川棚温泉の青龍伝説

青龍伝説

遠い昔、とようらの地の奥深い森に囲まれた泉に、水の神様として一匹の青龍が住んでいました。青龍の住む泉はどんな日照りでも枯れることなく、青龍に与えられた清らかで豊富な水により、農作物は豊かに育ち浦々ではたくさんの魚がとれました。

しかし、ある時この地を大地震が襲いました。大地震は一夜にして青龍の住む泉を熱湯へと変え、山を崩し、泉を埋めてしまったのです。そして青龍も住む場所を失った悲しさから病気になり死んでしまいました。

青龍と泉を失った村では長く日照りが続き、作物は枯れ、人々は病気に苦しみました。困った村人達は、青龍を祀るための社をつくり、この土地の守り神として人々の生活を守ってくれるよう祈り続けました。

そんなある日、村人が青龍の住む泉のあった場所に畑をつくろうとして地面を掘ると、そこから温泉が湧き出したのです。不思議なことに温泉の湯を浴びると、それまで病気で苦しんでいた人たちは元気になったといいます。

怡雲(いうん)和尚

その後、月日はめぐり温泉が枯れてしまうと、青龍のことも人々の記憶から忘れられようとしていました。すると応永年間(1394~1427)、再びこの地を日照りと疫病が襲いました。川棚を見下ろす小高い山の中にある三恵寺の住職であった「怡雲(いうん)和尚」は、厄災に苦しむ人々を助けたい一心で仏に祈り続けました。そんなある晩、怡雲和尚の枕元に薬師如来が現れました。薬師如来は枕元で、和尚にこの土地に住む青龍の伝説と人々の病気を治した不思議な温泉の物語を告げました。

怡雲和尚は薬師如来の霊告をもとに、忘れられていた温泉を再び掘り返す決心をし、周辺の村人の協力を得て作業に取りかかると、見事に温泉を掘り起こしました。青龍の伝説と薬師如来の霊告のとおり、その温泉の湯を浴びると人々の病気は次々に回復したといいます。再び平穏を取り戻した村人たちは、温泉がもう二度と枯れないように伝説の青龍を温泉と村の「守護神」としてお祀りすることを決め、祈りを欠かさないようつとめました。

以来、数百年の月日が経ちますが、今も青龍の伝説は語り継がれ、青龍権現に守られた温泉は枯れることなく沸き続けているのです。

(しものせき観光ホームページより)(彦島のけしきより)