小倉記念病院、北九州市小倉北区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小倉記念病院

大正五年四月、次郎丸貞次氏の創設で、総合病院としての運営を図り、副島豫四郎氏を院長として迎え、大正五年から診療を開始した。後に副島家の経営に移り、戦後の二三年には厚生省指定の社会保険病院小倉記念病院として新発足した。

この写真は現在の井筒屋デパートの敷地にあったころのもの。

(明治大正昭和「小倉」より)(彦島のけしきより)


参考

① 井筒屋の南隣にあった小倉記念病院

1970年(昭和45年) 井筒屋の南隣に小倉記念病院

小倉井筒屋の右が小倉記念病院、左上に今は無き「小倉豊楽園球場」が見える(1957年)(黒崎そごうメモリアル、参考)

天守を復興したばかりの小倉城と小倉井筒屋と小倉記念病院(1960年)(黒崎そごうメモリアル、参考)


② 現在の浅野三丁目にある小倉記念病院

昭和45年と平成22年に移転して、現在の小倉記念病院は国道199号の北の浅野三丁目(参考)