旧下関高等女学校、現下関南高等学校 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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下関高等女学校(明治末年ころ)

明治十七年の赤間関裁縫女学校が起源で、同四十一年三月、春日町(現在の下関水道局のあたり)に新校舎を建設。のち昭和五年に現在地へ移転した。左上に浄水場を望む。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


市立下関高等女学校の授業(大正初期)

県立下関南高等学校の前身で、現在の下関水道局のあたりにあった。大正三年の本科第一学年生50名。実科第一学年生27名であった。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)



下関高等女学

(古写真集「関門浪漫」より)


下関高等女学校

明治三七年下関実業補習女学校を経て明治三八年四月一日市立下関高等女学校となった。場所は高尾でその当時はまだ淋しい場所だった。昭和三年四月一日山口県へ移管された。昭和五年現在地に移った。

(写真集 明治大正昭和 下関より)(彦島のけしきより)


赤丸: 旧下関高等女学校敷地(現在の水道局)、黄丸: 下関南高等学校


参考

下関南高等学校(参考)