紫川の陸軍橋、北九州市小倉北区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

陸軍橋

現在のむらさき川橋である。川の左岸にあった歩兵十四連隊の砲車を通らせるために架設された橋。橋の向う中央に見えるのが偕行社である。大正末期。



旧小倉市立記念図書館

大正一一年一〇月三〇日開館した旧小倉市立記念図書館。この建物はもと陸軍借行社跡で、階上は小倉公会堂、図書館は階下で、階下の中ごろに出入口を設けていた。 田町の旧小倉市役所裏側にあたる。

(明治大正昭和「小倉」より)(彦島のけしきより)


注: 現在のモダンな図書館は、ほぼ同じ位置か、やや西側に移動しているようだ。また、田町にあった三代目の旧小倉市役所は現在の小倉北区役所となっている。


参考

① 1920年(大正9年)の陸軍橋



② 現在

旧称陸軍橋または紫川橋、鉄の橋(参考)


③ 偕行社(参考)

明治10年の創立以来、歴史と伝統を誇る偕行社は、国家存立に枢要な軍事の任にあたる将校の修養・研鑽と親和・団結の場でありました。