下関飛行場の建設
航空機の技術進展により、大陸への陸海交通要衝であった下関に民間飛行場建設の機運が高まり、昭和12年、松屋素倉浜海岸で逓信省飛行場の建設が始まった。
その工事風景写真の一枚。周辺海底を浚渫した大量の土砂と、近くの丘の真砂士で埋め立て、昭和15年に完成した。漁業へ被害は大きく、白崎松林の半分が消えたが、 農地の接収はまだ少なかった。その後、昭和17年まで3次にわたり、広大な農地、山林、居住地が約83町歩も接収され、漁業と蔬菜生産が盛んだった松屋住民の生活と村の経済は激変した。
〈松屋本町·昭和10年代前半·提供=原田宏氏〉
(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)
参考