バナナの叩き売り、北九州市門司区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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バナナ売り(昭和初期)(北九州思い出写真館より)

籠詰めバナナ(昭和初期)(門司百年より)

(彦島のけしきより)


北九州市門司区港町1−7 バナナのたたき売り発祥の地


参考

門司港発祥「バナナの叩き売り」(北九州市、参考)

バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、当時、基隆(キールン)[台湾]の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。それが大量輸入されるようになったのは、明治41年以降で、終戦の4、5年前までです。その頃、台湾は日本の領土であったことと、門司港が産地台湾と最も地理的に近い関係もあって、大量荷揚げされ、市場が設けられたのでした。

このバナナ入荷は、青いままのバナナで、3、40人の仲買人[室(むろ)を持つ問屋]により競(せ)リ売りが行われました。そして、引き取られた青いバナナは、地下室で蒸されて、黄色のバナナとなって、市場に売り出されたものでした。ところが、輸送中に蒸れた[俗に籠熟(かごうれ)バナナと言う]ものや、加工中に生じた一部不良品等で輸送困難なものは、出来るだけ早く換金する手段として、露天商等の手を経て、口上よろしく客を集め売りさばかれたのが「バナナの叩き売り」の始まりです。

現在、JR門司港駅前(旧門司三井倶楽部側)に『バナナの叩き売り発祥の地』の記念碑が建っています。

近年、「バナナの叩き売り」は、年齢の高い人には懐かしい響き、 若い人には新鮮な響きと受け取られ、人気を呼んでいます。

また、「バナナの叩き売り」は、『門司港バナナの叩き売り連合会』によって継承されており、『門司港バナナ塾』も毎年開講されています。

※バナナの叩き売りは、2017年4月、「関門ノスタルジック海峡」の構成文化財の一つとして、日本遺産に認定されました。

昭和初期