夷狄撃ち払いの為の大砲、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

荻野流一貫目青銅砲

下関戦争の際、彦島の弟子待台場に設置されていた大砲。下関戦争の終結後、連合国は各台場から戦利品として大砲を本国に持ち帰った。

この青銅砲はフランスのアンヴァリット軍事博物館が所蔵するもので、当館に貸与されている。

(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)


軍事博物館の正門の大砲の陳列を門外から望む

軍事博物館の正門の大砲の陳列

フランス廃兵院(アンヴァリッド)軍事博物館、フランス パリ フォーブール・サン=ジェルマン付近


木砲

下関戦争では、大砲の数量不足を補うため木砲も配備された。この木砲は長府藩砲術家の下田家に伝わったもの。

(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)


下関戦争図 ワーグマン筆

下関戦争に従軍したイギリス人画家チャールズ·ワーグマンによる水彩画。連合艦隊の砲撃により、沿岸の台場が炎上している様子が描かれている。

(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)