国宝・住吉神社本殿、長門一の宮 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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長門一の宮住吉神社

下関には国宝が二つある。しかもそれは建造物で、一の宮の住吉神社本殿と長府の功山寺仏殿である。日本全国の国宝は約一〇二六件で、山口県には九件の国宝があるが、そのうち建造物はわずか三件で、その三件の二つを下関が占め、残る一つは山口市の瑠璃光寺五重塔である。

建造物の国宝は西日本では稀で、島根の出雲大社本殿と広島宮島の厳島神社本社など有名なものに限られ、九州各県をみても福岡、佐賀、熊本、宮崎、鹿児島には一つもなく、大分に宇佐神宮本殿と富貴寺大堂、長崎に崇福寺大雄宝殿と大浦天主堂があるだけである。

このように西日本でも数少ない国宝建造物を、下関は二つももっているわけで、われわれはその価値を再認識し誇りにするとともに、後世に伝えて行く義務がある。

住吉神社本殿は春日造と流造の折衷式によるもので、桧皮葺(ひわだぶき)の五社殿(五人の神様を祭ってある)に特徴がある美事な建築で、応安三三年(三七○)に大内弘世が戦勝祈願し、その御礼に再建したものであるが、のち天文八年(一五三九)に建立された重要文化財(国指定)の拝殿が、毛利元就の寄進であることは、大内-毛利時代の歴史の変遷を物語るもので興味深い。

神功皇后にもとづく住吉神社は、なんといってもその広大な神域がすばらしく、県の天然記念物に指定された社叢には、クスノキ、シイ、モッコク、タブノキなどの大樹がうっそうと茂り、武内宿禰手植伝説のクスノキやテイカカズラなど珍しい植物もあり、緑の濃い原生林のたたずまいが、神社の荘厳さをますます深めている。

そして五月の第三日曜日に行われる御田植祭は、古式にのっとり豪華な絵巻として繰り広げられ、下関市の農業祭と同調して植木市なども開かれ、近郊から繰り出した大勢の人びとが早乙女の奉仕する田植作業や舞姫の美しい姿にとれて、境内は終日にぎわうのである。

(下関とその周辺 ふるさとの道より)(彦島のけしきより)


参考

功山寺仏殿(wikiより)

瑠璃光寺五重塔(wikiより)