上野動物公園のモノレールが運行終了 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

2019.10.31に上野動物公園のモノレールが終了した。

少年画報の表紙に上野動物公園のモノレールの模型に寄り添う太田博之を思い出した。

上野公園


参考

①-1 東京・上野動物モノレール引退 日本最古、老朽化で運行終了

共同通信(2019.11.1、参考)

運行最終日となった上野動物園のモノレール=31日、東京都台東区

上野動物園(東京都台東区)の園内にあるモノレールが31日、運行を終了した。1957年に登場した「日本最古のモノレール」で、園には多くの親子連れや鉄道ファンらがラストランを見届けようと駆け付けた。

午後4時半から開かれた最終列車の出発式では、永田一秀駅長が「お子さんの『楽しかった』という声がとても心に残っている。ありがとうございました」と感謝の言葉。

モノレールは東園と西園の約330メートルを結んでいた。東京都は老朽化を理由に運行終了を決定。上野には72年にジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」が登場。73年度の乗車人数は最多の約153万人だった。


①-2 ラストラン



② 太田 博之(おおた ひろゆき、wikiより)

1947年11 月25日生まれの元俳優

1956年、新東宝の『新妻鏡』に初出演。子役として、映画、テレビドラマで活躍。『少年画報』の2代目表紙モデルも務めた。


③ 少年画報(wikiより)

戦後間もない1948年(昭和23年)に『冒険活劇文庫』として創刊され、1950年(昭和25年)4月号より『少年画報』と改題。当時の少年向けのマンガ雑誌という現在では当たり前のジャンルが確立していない時代に少年を対象とした漫画雑誌を刊行して漫画家の修練の場ともなり『少年画報』誌でデビューして後に大成した者も多くいる。1960年代前半は後発の他誌により発行部数が伸び悩むが、「マグマ大使」「怪物くん」「ロボタン」などの人気で盛り返し、更にそれらの作品がテレビ化された事で、テレビとのタイアップをメインにする様になる。しかし作品の終了と共にまた発行部数が伸び悩み、1969年(昭和44年)途中からは隔週刊の発行に改めるも振るわず、1971年に少年キングに合併という形で休刊に至る。