玉音放送 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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昭和20年8月15日の終戦の日、昭和天皇の玉音放送を拝聴する皆さんの写真には、修学前の子供と婦人と後ろに座る3人程度の成人男性が写っている。

小学生以上は疎開し、成人男性は戦地におり、終戦後に帰還したのであろう。空襲の恐ろしさは特に女子供にのしかかったようだ。

また、写真に写る車力、真空管式ラジオが印象に残った。


参考

<あのころ>終戦の「玉音放送」 焼け跡で耳傾け

共同通信(2019.8.15、参考)


1945(昭和20)年8月15日、終戦を告げる昭和天皇の「玉音放送」によって国民は初めて太平洋戦争に敗れたことを知った。正午からの放送に家族でラジオの前に正座し、雑音だらけでも初めて聞く天皇の声に耳を傾けた。焼け跡の一角で、左手前は「御真影」だろうか。この日を境に新たな日本がスタートする。