李鴻章道、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市阿弥陀寺町3−9李鴻章道


参考

日清講和談判と下関

日清講和談判は下関で行われた。 明治二八年三月二〇日、李鴻章は清国講和全権大使として百数十人の随員を従えて下関に着いた。日本側は、首相伊藤博文、外相陸奥宗光であった。三月二四日第三回目の会見が終って李鴻章が宿舎の引接寺に帰る途中、小山豊太郎から、ピストルで撃たれた。

(写真集 明治大正昭和 下関より)(彦島のけしきより)



下関の地で李鴻章の治療にあたった
陸軍軍医総監・佐藤進医学博士

李鴻章道と受難地点