旧長門鉄道の機関車 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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長門鉄道「キハ1」(ガソリンカー)導入の記念写真(下関市小月·昭和4年)

昭和3年に東京·上野で開催された工業博覧会に出展された加藤車両製作所製のガソリンカー初号機が翌年、長門鉄道に導入された。しかし性能は極めて悪かった。

(下関・豊浦の100年より)


ポーター社製の18トンC型蒸気機関車(下関市小月·昭和14年)

「旅客混合貨物列車」の牽引用機関車としてアメリカより2両が導入された。本来は土木工事用に開発されたものであった。写真は小月駅構内の101号機関車。

(下関・豊浦の100年より)


列車衝突事故(菊川町岡枝·昭和20年代)

岡枝駅構内のC201蒸気機関車とキコハ10ガソリンカーの正面衝突のようす。長門鉄道ではこうした事故の他に、煤煙による沿線民家の火災が少なからず、苦労が絶えなかった。

(下関・豊浦の100年より)


汽車を待つ人びと(菊川町岡枝·昭和25年頃)

長門鉄道は通勤·通学の足として利用された。写真は岡枝駅構内に入線する西市行きのC231蒸気機関車である。

(下関・豊浦の100年より)


列車出発風景 (下関市小月·昭和25年頃)

小月駅を発車した列車を見送る駅員。冬なのか、ポイント切り替えに手を使わず、 足で行なっている。ある日の長門鉄道小月駅構内のようすである。

(下関・豊浦の100年より)


西市駅構内の蒸気機関車(豊田町西市・昭和30年)

(下関・豊浦の100年より)


ヨイショ ヨイショ(菊川町下大野·昭和20年代)

保線作業指揮者の手旗による合図で、作業員が力を合わせ、レールの取り替え作業を行なっている。過酷な労働がユーモラスに見える保線作業のひとコマ。

(下関・豊浦の100年より)


参考

① 旧長門鉄道岡枝駅(参考)


② 旧長門鉄道