藤原義江の生家、旧宮崎商館 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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藤原義江が生まれた旧宮崎商館は空襲を受けており、著者の子供時代、昭和30年代まで屋根が焼け落ちて壁だけが残っていた。当然、現在では修復されている。

西之端町大通り(明治末年ころ)、手前は宮崎商館(現在ロダン美容室)で、石炭で大きな事桒を営んだ宮崎儀一の店舗。本宅は名池山にあり、宮崎御殿とも呼ばれ、その一室で藤原義江が生まれている。下関商業会議所、下関電話交換局の建物が並ぶ。(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)

旧宮崎商館 下関市田中町4-10


参考

① 田中絹代ぶんか館(正式名は市立近代先人顕彰館または下関市庁舎第一別館の2F)、、、旧宮崎商館の西隣

大正13(1924)年に旧逓信省下関電信局電話課庁舎(電話交換局)として竣工した(参考)。


② 藤原義江