区立郷土歴史館、東京都港区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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区立郷土歴史館、旧国立公衆衛生院
港区白金台4丁目6−2 郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」


参考

港区にる「81年前の名建築」の意外な活用法

東洋経済(2019.3.20、参考)

鈴木 伸子:文筆家


旧国立公衆衛生院は港区のがん患者緩和ケアや子育て支援施設、そして港区立郷土歴史館として活用されている(撮影:梅谷秀司)

東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第12回の今回は、港区にある「港区立郷土歴史館」を訪れた。

なお、外部配信先でお読みの場合、360度画像を閲覧できない場合があるので、その際は 東洋経済オンライン内でお読みいただきたい。

山手線の目黒駅からも近い白金台一帯には、昭和戦前からのお屋敷街の雰囲気が今も残る。

このあたりにあるものといえば、旧朝香宮邸・東京都庭園美術館、美智子さまが卒業された聖心女子大学。結婚式場の八芳園はもともと、日立鉱山(現JX金属グループ)創業者の久原房之助邸であり、その並びにあるシェラトン都ホテル東京は外務大臣を務めた藤山愛一郎邸跡に建てられたものだ。

その白金台の目黒通り沿いに、以前から気になっていた建物がある。敷地の外からは、かなり時代色の感じられる風格のある大きな建物が見える。近寄って建物の外観や内部を見てみたいと思いつつ、近くには「東京大学医科学研究所」の表示があり、どうも関係者以外は入ってはいけない雰囲気が漂っている。

いつもその前を通るたび「ナゾの研究所」として気になっていたのだが、昨年の秋、その実態に一気に近づくことができる情報を得た。

港区立郷土歴史館として活用

実はここには、東京大学の医科学研究所と旧国立公衆衛生院という2つの歴史的建築のある敷地が隣接している。医科学研究所のほうは現役で使われているが、公衆衛生院はすでに移転して空き家になっていたところ、保存・改修されて、地元・港区のがん患者緩和ケアや子育て支援施設、そして港区立郷土歴史館として活用されることになったのだ。2018年11月1日にオープンしている。

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今回の取材のため、目黒通りから初めてこの施設の敷地内に入り、「旧国立公衆衛生院」=港区立郷土歴史館を訪ねた。建物の正面入り口側に立つと、壮麗な外観に圧倒される。東京大学総長も務めた建築学者・内田祥三氏(うちだよしかず[1885〜1972])の設計によるものだ。

内田祥三氏の代表作と言えば、東京大学本郷キャンパスの校舎群がまず思い浮かぶ。安田講堂のほか、関東大震災の復興で建設された各学部の校舎建物は、東大構内をまさに「学問の都」という雰囲気にしている。この医科学研究所(創建時は伝染病研究所、1936[昭和11]年築)、公衆衛生院(1938[昭和13]年築)とも、それらと同じく昭和戦前期のものだ。

建物の形は「コの字型」で、中央部に塔屋が立つ。「内田ゴシック」と言われる天にそびえるようなゴシック様式と重厚さの入り交じった独自のスタイルは、文京区本郷にある東京大学の一連の建物に通じる。

正面玄関から入ったところが、建物2階の中央ホールになっていて、2層吹き抜けの広々とした空間に迎えられる。この2階、3階が来客を迎える応接スペースとなっていて、中央ホールや3階の院長室、次長室などは、歴史的建築として完全に保存する方向で改修されている。

しかし、この建物は展示施設となっているので、このたびの保存改修では、館内をABCの3ランクに分けて、Aは完全に保存、Bは保存しながらも活用のために一部改修、Cは完全に改修というように分けられて整備された。

国立公衆衛生院とはなにか

2階から4階には港区の歴史や郷土に関しての展示室がある。そのなかでも2階の「コミュニケーションルーム」は旧図書閲覧室だった部屋を改修し、クジラの骨格標本やペンギンの剥製などが展示してあり、クラシックな雰囲気が魅力になっている。

そもそも国立公衆衛生院とは、どんな施設だったのだろうか。

まだチフスやコレラなどの伝染病の多かった昭和初期、当時ようやく普及し始めた「公衆衛生」という概念を広めるための教育施設として開設され、全国の保健士たちがここで、伝染病予防や労働環境などについての研修を受けるために設けられた。館内の最上階6階は研修生たちのための宿泊女子寮になっていて、その一部は現在も見学できる。

4階、5階は公衆衛生に関する授業を行う教室や実験室の並んでいる実用的なつくり。なかでも4階の大講堂は340席の階段状の部屋で、いすのクッションと天井板以外は創建時の部材がそのまま残されており、歴史的空間としても貴重なものだ。

3階の郷土歴史館図書室は、公衆衛生院時代の図書室書庫で、以前の書庫空間も一部残されている。当時から、万一の火災時には金属製のシャッターを下ろして防火区画となるように設計されていた。

関東大震災では東京大学本郷キャンパスの図書館が被災し、「知の結晶」である大学の蔵書が焼失してしまったため、「災害からは、人とともに書物も守らなければ」という設計思想で、この建物の書庫も防火仕様とされた。

内田設計の同図書館は、アメリカのロックフェラー財団の寄付で震災復興したもの。そして、この公衆衛生院の建物もロックフェラー財団の寄付で建てられたという共通点があるのも興味深い。

玄関前の池の正体は?

1階にあった旧食堂は改修され、おしゃれなオーガニックカフェとして営業中。自然栽培の野菜を用いたメニューやオーガニック・コーヒー、スムージーなどが提供されている。

写真右の壁に貼られているのが泰山タイル(撮影:梅谷秀司)

この壁面の「泰山タイル」は大正・昭和のモダン建築によく用いられたもので、今回の改修で、この部屋のためだけに復元製造された。

昭和レトロな趣があり、今風なカフェの雰囲気とうまくマッチしている。

館内を巡った後、正面玄関から外に出て改めて建物を見上げてみると、6階建ての上に中央部には4階分の塔屋がそびえていて、戦前の建物にしてはなかなかの高層建築だと感じる。

玄関前の“池”は、実は浄水場を小型にした模型で、かつては150〜160cmの水深があった。これも公衆衛生の教材だったわけだ。

この敷地のさらに奥には東大の医科学研究所の建物が見える。こちらも、旧公衆衛生院に通じる「内田ゴシック」の重厚な建物。築80年以上を経て、昭和初期の内田建築が隣接する場所に現役で使われていることはなんとも喜ばしいことだ。