Au Lapin Agile, 22 Rue des Saules, 75018 Paris
Au Lapin Agileからサクレクール寺院を望む(3D)
参考
観光開発の波と闘う芸術家の都、パリ・モンマルトル
仏パリ、モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院とその周辺(2018年11月30日撮影)。
【AFP=時事】ピカソやモディリアーニといった巨匠画家が、その昔、無名時代に足繁く通った薄暗い穴倉のような部屋で、ロシアやカナダ、オーストラリアから来た旅行客の一行が古いシャンソンに耳を傾けている。
市中心部の丘の上にある、パリを象徴する地区、モンマルトル。アカシアの木に囲まれた小さな一軒家で、モンマルトルに残る最後のキャバレー「ラパン・アジル」が今も営業を続けている。
ここ数十年、この地区には大勢の観光客が押し寄せるようになり、街の様子も大きく変わった。店のオーナーのイブ・マテューさんは、近所の石畳の舗道では「Paris」と書かれたマグカップやエッフェル塔のキーホルダーを売る土産物屋が急増し、歩く妨げになっていると不満を募らせている。
「伝統的なキャバレーは、うちだけになってしまった」「私は今、90歳だが、これからもやめるつもりはない」とマテューさんは話す。このキャバレーでは、レオ・フェレやジョルジュ・ブラッサンス、シャルル・アズナブールといった多くのシャンソン歌手がデビューを飾った。
だが、19世紀のアーティストらの憧れの町だったモンマルトルは近年、商業的規模の国際的な観光化の波に飲み込まれるリスクに直面している。モンマルトルを訪れる観光客の数は、年間約1200万人に上る。
1921年に、都市開発に反対するために設立された「モンマルトル共和国」と名乗る地域団体の代表、アラン・コカールさんは、丘の頂にあるテルトル広場が「ディズニーランド」のようになってしまうと不安を口にした。
■不動産価格の高騰
1927年からこの場所にある薬局の経営者、フレデリク・ルーさんは、家賃の高騰によって個人経営の店が立ち退かざるを得ない状況になっていると話す。地元に根差した店舗のうち、今でも営業を続けているのはルーさんの薬局だけだという。「パン屋が去り、肉屋も去った。問題なのは家賃だ。払うことができるのは、土産物屋だけだ」とルーさん。
19世紀末には安宿が多く、貧しい芸術家たちに人気だったモンマルトルの町は、この30年間に不動産価格が高騰し、物件は今や富裕層や著名人らしか手が届かない。
この地区が持つ独特の魅力が、米ハリウッド俳優のジョニー・デップといったスターたちをとりこにしている一方で、地元の人々は次々と町を離れている。
30年前のアパルトマンの価格は、1平方メートル当たり1500ユーロ(約19万円)前後だったが、モンマルトル専門の不動産会社「イムモポリス」のブリス・モイーズ社長によると、今の購入希望者は1平方メートル当たり1万ユーロ、あるいは2万ユーロ(約130万~260万円)を出すこともいとわないという。
このような物件価格では、まだ芽の出ない作家やアーティストらが、この町に移り住んでピカソやルノワールの足跡をたどりたいと思うことさえできないだろう。
■締め出される画家たち
ここで仕事をしているアーティストたちは、観光客相手のスケッチや、さらに緻密なパリの風景画などを販売して生計を立てているケースが多い。だがそうした彼らでさえ、この町から追い出されるのではないかと不安を抱いている。
芸術家団体「パリ・モンマルトル協会」会長のムバルキ氏も、地元のカフェやレストランが次第に舗道まで占領するようになっている状況に反発している。
最近定められた法令によって、アーティストには舗道で商売をする権利が与えられたが、そこにはレストランのテーブルや椅子が次々と置かれている。
1970年からモンマルトルで仕事をしているというムバルキ氏は、「私たちは貧しい暮らしをしているのに、テラス席は広がっている」「スペースの半分は、私たちに与えられるべきだ」と憤り、「もしそうしてもらえないなら、私たちはここを離れる。私たちがいなくなれば、ここはもはやモンマルトルではなくなるだろう」と言い添えた。
【翻訳編集】AFPBB News