カネミ油症の現在 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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著者の大学時代の同級生にカネミ油症の被害者がいた。茶色に変色した顔面のあちこちにコブが出来ていた。

服で隠していたが全身に症状が出ていた様だが、全く異常無しの態度で明るく勉学に励んで某大学教授になった。あれから50年近く経ったことになる。

実は皮肉なことに、カネミ油症の原因を作った会社は著者の通う大学に近くにあった。


参考

① カネミ油症50年 「死ぬことばかり考えた」 教訓次世代へ 被害者ら吐露

長崎新聞(2018.11.18、参考)

カネミ油症事件の教訓を未来に生かすためには-。事件発覚50年の節目に長崎県五島市で17日開かれた記念行事では式典後、約190人が四つの分科会に分かれ、被害の実相や救済の課題について理解を深めた。県内外や台湾から参加した被害者らは、不十分な救済制度、次世代を含めた未認定問題など、それぞれが抱える苦しみと願いについて熱心に語った。

「苦しくて、つらくて、早く死ぬことばかり考えていました」。油症被害者、森田安子さん(65)=福岡県大牟田市=の声が響いた。五島市で汚染油を摂取した認定患者3人が、半世紀の壮絶な体験や思いを吐露した分科会。市民らが耳を傾ける会場には、1週間前に自らの被害に気づいたばかりの未認定の男性(65)=同市=の姿もあった。「同じだ」。3人から語られる症状の多くが、男性自身の体験と重なった。

長崎県内で突出して被害者が多い五島市。森田さんは15歳の時、玉之浦町の自宅で汚染油を使った家庭料理を食べた。しばらくして足にピンポン玉ぐらいの腫瘍ができ、顔は腫れ上がった。呼吸困難などで学校を長期間休み、「生きているのがやっとだった」。

島を離れ、24歳で結婚。流産を繰り返した後、3人の子に恵まれたが、子育て中、失神するほどの目まいに襲われるなど体調不良に苦しんだ。事件から40年以上たった2010年、森田さんは油症認定された。

不安は今、わが子に及ぶ。皮膚疾患や子宮筋腫などが多発した長女(39)は油症検診を何度も受け、昨年ようやく認定。一方、長男(37)や次女(33)は未認定のままだ。まだ孫はいないが、被害が連鎖する恐れは拭えない。同じ人生は送らせたくない。「親として、被害者を救わない国、そして社会に訴え続ける」。そう声を振り絞った。

一方、会場で森田さんらが語る症状を聞く男性の思いは、少しずつ「確信」に変わりつつあった。「俺も中学生から30歳ごろまで尻の吹き出物がひどく、顔に黒いにきびができた」

男性は1週間ほど前、市の広報誌で油症特集を読み、見覚えのある一斗缶の写真に気付いた。中学生のころ、量り売りの油を買いに行った時に見掛けたものと同じだった。母親からカネミ油を食べたとは聞いていた。しかし、病院では「体質だ」と言われ、出身集落には一人も認定患者がいないこともあり、「症状が出る人と出ない人がいるんだと思っていた」。このため、油症検診は一度も受けたことがない。

来年の検診は受けるつもりだ。血管や肝臓の病気を抱えるが、油症との関係は分からない。だが男性は思う。「油症なら、俺の今までは何だったんだ」

3人のわが子の健康被害について語る森田さん(手前の右から2人目)。左隣は未認定の男性=五島市福江総合福祉保健センター


② カネミ油症発覚50年 「食べて苦しんだ人思うと、自分は耐えなければ」 自責の念、今も [長崎県]

西日本新聞(2018.11.19、参考)


発覚から50年を迎えた国内最大の食品公害「カネミ油症」。かつて五島市奈留島で小売店を営んでいた、高齢の石田多江さん=仮名=は今秋、カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油を販売した自責の念を記者に打ち明けた。「毒入り油を食べて苦しんだ人のことを思うと、自分の苦しみは耐えなければいけません」

1968年の春ごろだった。知人から「安くていい油が入った。みんな売っているよ」と薦められ、一斗缶を4缶仕入れた。移動スーパーで島内を行き来し、量り売りを行った。油はすぐに完売した。

ほどなくして油を使った料理を食べた人が、体の吹き出物や手足のしびれなどの健康被害を訴え始めた。秋になり、油症事件が新聞報道などで伝えられた。「病気になったぞ。どうしてくれるんだ」「責任を取れ」と、店先で島民から怒鳴られる日々が続いた。「こんちきしょうが」と傘でたたかれた。

汚染された油とは全く知るよしもなかった石田さんだが、責任を感じて「許してください。知らなかったんです」と気の済むまでたたかせた。

カネミ倉庫製の米ぬか油は、68年2月から半年間で約300缶が五島の各地に出荷され、奈留島では12店で売られたとされる。その油が地域をむしばんだ。油症の根本的な治療法は、まだ見つかっていない。

石田さんも体に発疹ができ、内臓を悪くした。今もさまざまな疾患に悩む。それでも、油症患者の認定審査の判断材料になる検診は受けずに生きてきた。

最近も奈留島の被害者から「知らずに売った人も被害者。検診を受けましょう」と声を掛けられた。認定患者になれば、医療費などの公的支援の対象者になることは知っているが、言葉だけをありがたく受け止めた。

「油症だとは思うが、売った責任がある私が、検診を受けることはできません。思い出したくない話だったけど、気持ちを聞いてくれてありがとう」。この半世紀で、マスコミの取材に応じたのは初めて。あふれ出る涙を両手で押さえ、石田さんは言葉を絞り出した。

=2018/11/19付 西日本新聞朝刊=


③ カネミ倉庫株式会社(カネミそうこ、wikiより)

福岡県北九州市に本社を置く、倉庫業・食用油の製造を営む企業。 1938年4月18日創業。ダーク油事件カネミ油症事件を引き起こした企業として知られる。


④ ライスオイル、米ぬか油(参考)

日本をはじめ、世界各国から厳選された安心・安全なお米を原料に使用し、日本で精製されたこめ油です。γ-オリザノール、スーパービタミンE、植物ステロール”等の機能成分を豊富に含みます。


⑤ PCB(参考)

Poly Chlorinated Biphenyl(ポリ塩化ビフェニル)の略称で、人工的に作られた、 主に油状の化学物質です。PCBの特徴として、水に溶けにくく、沸点が高い、熱で分解しにくい、不燃性、電気絶縁性が高いなど、化学的にも安定な性質を有することから、電気機器の絶縁油、熱交換器の熱媒体、ノンカーボン紙など様々な用途で利用されていましたが、現在は製造・輸入ともに禁止されています


⑥ 失敗事例、食用油の精製の為の加熱コイルの穴からPCBが漏れた(参考)