宗像大宮司の末裔の菩提寺と墓、長門市三隅 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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長門市三隅町には、宗像大宮司の跡を継いだ草刈氏の菩提寺の了性院と草刈氏の墓がある。

ここ三隅町は、三隅氏、周布氏、益田氏、草刈氏、繁澤氏の拠点であった。

山口県長門市三隅上 三隅上樅の木2204 了性院





参考

① 草刈次郎重継の菩提寺と墓

長門市三隅町お寺の名前は、昌樹・了性院 了性は、草刈次郎重継(高山城主)の法名で、昌樹は、その妻宗像氏の法名だそうです(三隅町史)

新説:
昌樹は阿川毛利元氏の娘が草刈重継対馬守の妻です(FB吉富容さんの実家の資料より)。宗像氏貞には3人の娘がいたが、そのうちの一人が小早川隆景の重臣の草刈重継に嫁ぎ、宗像氏の相伝文書は草刈家に伝来することになった(wikiより)。



FB友達 吉富容さんより

FB友達 吉冨 容さんより、以下同じ






② 秀吉と毛利の和睦の結果、草刈氏は、城・領地を失い、小早川に助けられて北九州で知行となり、関ヶ原の戦いの後は、毛利について、この地長門三隅樅の木の知行となったようです(三隅町史、参考)


③ 草刈次郎重継(wikiより)



④ 宗像氏貞に男子が無く、次女が毛利氏の家臣の草刈次郎重継の後妻に入り、草刈氏が宗像を名乗り、先祖伝来の文書を受け継ぐ